怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

フランス人の偉大さに気づいたわ

以前の記事なんかで、フランスで重要視されているのが、

・フランス語
・学校
・哲学

ということらしい、と知った。
その意味を、今になって、何となく分かったような気がするわ。


フランスのエリート教育というのは、国がやっている。そう、変な外国かぶれの、イカレぽんちを排除する為なんだな、これが。

日本では「アメリカ式」でやられてしまってきたという側面があるので、これがアレなのかもしれない。

それに、国語。
日本では、英語が喋れることの方が大事に思われてしまって、日本語という「求心力」が落ちてしまっているように感じる。だが、「国家」ということへの帰属というか、所属の証みたいなものって、一般庶民でも判るのは「国語」ということと、それによって繋がる文化圏ということなんだよね、多分。


日本人の国家観というのは不明だが、フランス人なみの国家を守ろうとする意識というのは、日本人にはないような気がする。
だからこそ、従米派の「地頭クラス」の跋扈を許すことになってしまうのだ。


万が一、日本国内の高等教育を外国にも開放してしまった場合、国家の根幹から崩れさる危険性がある、ということだと思う。フランス人は、長きに渡る欧州での「苛酷な歴史」を生き抜いてきただけの経験や知恵が備わっているはずだろう。権謀術策の応酬は勿論、獲った、獲られた、生き死には当然、策略レベルも、外国と通じる術の数々も、様々に経験してきているだろうから。

そういう、本当の荒波の中で誕生している国家であるが故の、外交戦略の中で生き延びる術、みたいなものを心得ている、ということなのだな。

侮れないな、フランス。
さすがだ。


そういうことだったのか。
支配階層を決して奪われてはならない、ということの意味が、エリートを育て、そのグループこそが、外国からの浸透を防御する城壁となる、というわけか。
日本のような「孤島国家」的な環境ではなく、大陸国家として、昔から人やモノの往来が盛んで割と自由であったフランスというのは、国外からの浸透が日本などに比べてはるかに容易であった、ということがあるだろう。単純に、出身地とか宗派とか、そういうのでも多様な人がいるだろうから。


「国家」というものを支える基礎的条件というのが、国語(言語)であり、学校なのだ。国を守るという、思念(?)のようなものの基盤は、まさに哲学によって培われる、ということなのだろう。

日本は、いずれも「弱体化した」のだと思う。
日本という国や、日本人というアイデンティティのようなものは、昔に比べて、どんどん薄れていっているように思う。

フランス人は、意図的に守ろうとして、それを守ってきた。だから、価値観というか、国家観というか、そういうのがブレないんだろうと思う。


今の日本でエリート面しているのが、「アメリカかぶれ」みたいな連中になってしまったのだよ。そういう連中が舵取りをするようになって、今の日本みたいなことになってしまったんだ、ということさ。


日本では、国益ということの意味は、喪失危機にある。

昔、福沢諭吉が何故学校を、と考えたのか、何を守ろうとしていたのか、そういうことを何となく感じるわ。


日本は、独立国家としての、或いは、民主主義が壊れてゆく危機に直面しているのである。