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鑑定医の秘密漏示罪を確定させた最高裁〜2

先月取り上げた(http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/688a1f9677e9cbb4fd9eb63aae2a29d3最高裁判決ですけれども、記事を書いた時には判決文が公開されておらず、その後にも確認していませんでした。当方にとって宿題となっていたので、思う所を書いておきたいと思います。

http://kanz.jp/hanrei/data/html/201202/20120216100930.html


これといって内容のない、駄文ですね。単に下級裁判所の判決を支持せんが為の主観的意見が書かれているだけです。簡単にいえば、ただの決めつけ、です。どうしてこのようなことが可能なのかといえば、かなり以前から書いてきた通り、最高裁は誰からも「意見を引っくり返される恐れがない」から、です。最高裁が「これは黒だ」と決めつけると、その意見には妥当性とか正確性云々といった評価は通用せず、その時点で「黒」と確定してしまうから、ということです。最高裁は、何らの理由なく「黒だ」と決めつけることのできる最強にして最大の特権を有しているわけです。
過去の行政訴訟だろうと原発関連の訴訟であろうと西山事件のような事件だろうと、最高裁が「こうだ」と決めたら論理的かどうかなんて無関係に通用してしまう、ということです。最高裁が加担してきたりしたようなものである。裁判所がお先棒担ぎに徹してきた、と、そういうことです。検察不祥事の温床を作り上げたのは、裁判所がそれを支援し加担してきたからだ、ということです。彼らには、法の正義など、もとから存在などしていないのでしょう。


さて、判決の疑義について述べる前に、まず千葉勝美裁判官の補足意見について、見てゆくことにする。

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医師は,基本的な医行為が業務の中核であり,その業務は,常に患者等が医師を信頼して進んで自らの秘密を明らかにすることによって成り立つものである。医師は,そのような信頼がされるべき存在であるが,医師の業務の中で基本的な医行為とそれ以外の医師の業務とは,必ずしも截然と分けられるものではない。例えば,本件においても,被告人は,鑑定人として一件記録の検討を行うほか,少年及び両親との面接,少年の心理検査・身体検査,少年の精神状態についての診断を行い,少年の更生のための措置についての意見を述べることが想定されているところであり,この一連の作業は,少年に対する診察と治療といった基本的な医行為と極めて類似したものである。
刑法134条は,基本的にはこのような人の秘密に接する業務を行う主体である医師に着目して,秘密漏示行為を構成要件にしたものであり,その根底には,医師の身分を有する者に対し,信頼に値する高い倫理を要求される存在であるという観念を基に,保護されるべき秘密(それは患者の秘密に限らない。)を漏らすような倫理的に非難されるべき行為については,刑罰をもって禁止したものと解すべきであろう。
医師の職業倫理についての古典的・基本的な資料ともいうべき「ヒポクラテスの誓い」の中に,「医療行為との関係があるなしに拘わらず,人の生活について見聞したもののうち,外部に言いふらすべきでないものについては,秘密にすべきものと認め,私は沈黙を守る。」というくだりがある。そこには,患者の秘密に限定せず,およそ人の秘密を漏らすような反倫理的な行為は,医師として慎むべきであるという崇高な考えが現れているが,刑法134条も,正にこのような見解を基礎にするものであると考える。

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当方の理解で千葉判事の意見を大雑把にまとめると次のようなことである。
・鑑定業務は医行為に類似
・(他職種に比し)高い倫理を要求される医師ゆえに刑罰を科せられる
・「ヒポクラテスの誓い」のいうが如く、およそ人の秘密を漏らすような反倫理的行為は(法的に禁止されていないとしても)慎むべき

医師が高度な倫理を要求される、というのは、確かにそうである。当然だ。だからといって、法的に罰則規定のないものについてまで、罰せられるべきである、といったことにはなり得ないであろう。高度な倫理が人を罰する力を有するものではない。法に基づいて判断すべきであって、”ヒポクラテスの誓い”は少なくとも法ではない。
また、鑑定という業務が「医行為である」とは断定していない(参考までに、鑑定業務が医行為である、などという法学理論は聞いたことがない)。類似行為だから医師の行う医行為に準じるべき、というようなことを言わんとしているのかもしれないが、それは法なのかと疑問に思う。医行為に類似しているから鑑定業務が医療だとでも言うつもりなのか。そのことは、刑法134条適用に影響を与えるのか。

高い倫理が要求される職種だから刑罰を科せられる、というのなら、検察官や裁判官には高度な倫理が要求されない、ということなのか(爆)。
まあ、最高裁判事からすると、そういうことなんだろう。検察官には高度な倫理など必要ないから、いくらでも秘密漏洩が可能だ。存在しない証拠だって捏造できる。
出鱈目調書を作成し、これで裁判を終結させて、懲役刑を服役させてでさえ、罰せられることなどない。ウソの証拠、存在しない証拠、そういうので検事が訴追し、それを易々と裁判官が認めてお墨付きを与え、刑罰を無実の人間に与えようとも、誰一人刑罰を科せられることなどないという司法の世界、日本の誇る司法システムだからね。このような法曹の連中には、高度な倫理など必要とされてこなかった、そして今もされていない、ということの証左であろう。
 ・医師→高度な倫理を要求される=刑罰を与える
 ・検察官や裁判官→高度な倫理は不要=刑罰で罰せられない
ということだな。
こういう司法界だからこそ、東京第五検察審査会のような、不可解な審査員の選出や事務局の担当者の隠匿や審査会議の秘密漏洩などが、やりたい放題ということである。なるほど、である。


いくつかの疑問点が残ったままであり、最高裁判決からは答えが得られない。

当方の以前の記事でも疑問点として挙げたが、千葉判事の補足意見でも不均衡の存在について若干の言及があった。鑑定人が医師である場合には有罪で、その他学識者であると有罪とはならない、という、極めて不可解な解釈である。
鑑定人が医師免許を有しないただの教授とかであれば、刑法134条は適用されない。有罪にはならない、ということである。
また、医療過誤の疑われる事件の場合に鑑定人が医師であって、その医師が各種調書や証拠となった書類などをもって鑑定する時でも、やはり「人の秘密」とされてしまうのかということがある。
最高裁判決文曰く、
『「人の秘密」には,鑑定対象者本人の秘密のほか,同鑑定を行う過程で知り得た鑑定対象者本人以外の者の秘密も含まれるというべきである。
だそうだ。

更に、
医師が,医師としての知識,経験に基づく,診断を含む医学的判断を内容とする鑑定を命じられた場合には,その鑑定の実施は,医師がその業務として行うものといえるから,医師が当該鑑定を行う過程で知り得た人の秘密を正当な理由なく漏らす行為は,医師がその業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏示するものとして刑法134条1項の秘密漏示罪に該当すると解するのが相当である。
ということであるから、医療過誤疑いの事件でも鑑定人が「医師としての知識、経験に基づく、診断を含む医学的判断を内容とする鑑定」を求められるのは当然であり、この鑑定実施は医師の秘密保持義務の課せられた業務ということになるだろう。この鑑定過程において、どれほど「秘密保持」がなされてきたのか、といえば、定かではないだろう。鑑定対象以外の人の秘密も全て、であるのだから。


最高裁と検察の考え方というのは、具体的には例えば”供述調書”が「人の秘密」に該当しているから、これを他人に見せたら秘密漏示となる、ということである。これが秘密保持義務のある「人の秘密」だというのなら、刑訴法105条でいう押収拒否が可能、ということですね?だったら、これを提出しなさいと医師に命じたりできる裁判所規則でもあるなら、それを教えて欲しいものです。鑑定人に課せられた秘密保持義務のある秘密について、裁判所が「人の秘密には該当しますが、裁判に必要なので提出・証言しなさい」と命じられる規則が存在している、ということですよね?

別な規則はあるよ。

○刑事訴訟規則
第百二十一条 証人に対しては、尋問前に、自己又は法第百四十七条に規定する者が刑事訴追を受け、又は有罪判決を受ける虞のある証言を拒むことができる旨を告げなければならない。
2 法第百四十九条に規定する者に対しては、必要と認めるときは、同条の規定により証言を拒むことができる旨を告げなければならない。


このように、医師には証言拒否権を有することを告知することになっている。ただし「必要と認めるときは」となっているので、裁判所が「必要とは認めなかった」と主張すればそれまで、ということなんだろうけれどもね。まあ、鑑定医はペテンにかけられた、ということなのだよ。
鑑定人の規定では、宣誓はするものの秘密保持義務の規定は存在しない。


このように、疑問点が尽きないわけですが、本件最高裁判決は整合性のある説明が可能なものであるとは、到底思われないわけです。
もっと言えば、元から有罪ありきで書かれたものでしかなく、検察と裁判所の体面を維持せんが為に書かれたものでしかないのではないか、十分な法的検討がなされた結果であるとは思われない、ということです。
そもそもは、検察が作成した調書類が外部に見せられたりしようものなら、大変なことになる、調書開示の権限は絶対に検察(法務省)に置いておくべきものであり、それは何故かと言えば、不備や捏造や不合理などが解明されると「精密司法」の基礎が大きく揺らぎ検察への信頼が根本から崩れ去るから、ということのようにしか見えないわけです。それが「取調べ録画拒否」といったことと全く符号している、ということだ。

遠因としては、不起訴事件の訴訟関連書類について、常々不開示としてきたことが根底にあって、当事者であってでさえ見ることが拒否されてきたわけである。公表されると困る部分があるのは、主に報道する側の問題であって、訴訟関連書類の閲覧を拒否すべき理由になどならない。諸外国が全部そうかといえば、そんなことはないはずだ。検察が全部を拒否するが故に、調書類を調べる手段が全くない、ということで、今回のような事件を生んだのだ。

いずれにせよ、検察の走狗に成り下がった裁判所が、何が何でも有罪にしたいとして出した判決に過ぎず、法の精神だか正義だかは日本の司法には存在してないということが確認できた、ということである。

こんなのが、日本の司法界の頂点に立つ最高裁なんだそうですよ。
誰が彼らを信じられるというのでしょう。