怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

貸金業の総量規制はどこから生じたか

最近、幾度か目にしたので取り上げてみたい。

橘玲氏>http://blogos.com/article/46221/

増原義剛氏>http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33356

簡単に言えば、どちらも貸金業法改正は問題があった、ということを言っているわけである。なるほど、そういう意見は判らないではない。特に、当事者として関わっていた増原元衆院議員の証言は、貴重なものであるとは思う。


増原氏の本を読んだわけではないから、何が書かれているのかは知らない。ただ、現代ビジネスのインタビュー記事からすると、上限金利引き下げへの直接的言及は少なく、総量規制実施後に生じた問題点を主として指摘しているように読めたわけである。


2006年当時、拙ブログでは上限金利引き下げを支持した。記事もたくさん書いたわけである。イギリスの話も当時から知っていた。金融庁の資料でも何度も紹介されていたわけであるし、上限金利反対派達はこぞってことあるごとに「イギリスでは…」という出羽守ぶりを散々発揮していたからだ。

http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/3cd8d3e7e36fa439ccfd1e104694cf33



ネット上では公認会計士磯崎哲也氏、霞が関官僚のbewaad氏、弁護士の47th氏などが、こぞって上限金利規制に反対していた。拙ブログは、上限引き下げ、すなわち利息制限法に基づく基準に統一すべき、という論を展開した。そうではあっても、総量規制をすべき、と言ったことは一度もなかった。国会議員たちも、当初から総量規制を導入すべし、などとは言ってなかった。金融庁有識者たちの議論においても、出されてはいなかったわけである。


では、一体どのようにして総量規制という発想が登場してきたのだろうか?


それは、恐らくbewaad氏の意見が金融庁官僚あたりに浸透していったからなのではないのか。bewaad氏は、地獄への道は善意で敷き詰められている、と語っていたわけだが、その地獄を最も現実のものとしたのは、彼の意見だったのではないのか、ということである。
彼は、金利制限は悪、しかし、借り手の収入基準を貸金業者側が正確に把握すべし、としており、年収基準がもたらされたのは、そういう意見に基づくものだったはずだ。住宅ローンの返済負担能力のようなものを念頭に、年収に対する借入額水準というものを貸し手側責任において制限すべし、というものだった。


http://www.bewaad.sakura.ne.jp/20060419.html#p01

http://www.bewaad.sakura.ne.jp/20060422.html#p01



当時、経済学の理論に精通しているとか何とか言っていた上記3名の他、支持者たちが口を揃えて言っていたんじゃないのか。それは、早大消費者金融サービス研究所の坂野教授の出したペーパーを支持していた連中に、共通していることだった。まさしく、「経済学理論バカ」の見本市を見せてくれたわけだ。当方が経済学信奉者たちのいい加減さや、出鱈目や、根本から間違っているウソ解説や、素人を騙すも同然の屁理屈構築などを学んだのは、このお陰だ。だから、サブプライムローン危機が訪れても、まさしく瓜二つのようにしか思われなかった。


拙ブログでは、「借入金利が高ければ、破綻リスクは高まる」と主張したら、経済学信奉者たちは何と言ったか?
「破綻の説明要因は借入金利ではない、ライフイヴェント(収入変動)だ」
と言った。金利は、破綻リスクには関係ないんだ、と断言していたんだぞ(笑)。


だったら、イタリアやスペインの国債金利が高々7%くらいになったとて、騒ぐことでもあるまいに。破綻リスクに関係ないんだろう?
金利は無関係、と主張していたんだよ、経済学信奉者たちは。代わりに、bewaad氏が言った対策というのが、いわゆる「総量規制」という年収水準に対する量的制限だったのだよ。これが、経済学理論バカの正体だ、ということだ。金利規制よりはるかに過激な副作用をもたらしたのが、この量的規制だったんじゃないのか。


06年11月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/40ec6a639b838496a1852e6e5e697187

07年10月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/f32e3b8c1c8e7bfca5469d001384a631

坂野論文を信奉していた連中に、総量規制を批判してあげたら、全然関係ない『水戸黄門』的世界観を非難してきたわけだよ。彼らは論証ではなく、個人批判しかできないようなカスだということを示してくれた。


だが、経済学理論バカたちには、そうした反省というのは一切見られない。
途中でbewaad氏の言ってた対策はよくないのではないか、という意見さえ出されることもなく、それが現実の政策の中に留められていただけに過ぎない。


完全実施前にも注意を促したが、誰も反省なんぞしてなかっただけだろう。どうして、上限金利に反対した時みたいに、総量規制に反対しなかったんだよ。要するに、自分たちの間違いを認めたくないから、ではないのか?(笑)

10年3月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/f7890885b5899ddca34233a90aec1d19


あんまり関係ないが、橘氏の意見にもちょっとヘンな所がある。
イギリスの自殺が少ないことが説明できない、というのは、どうなのか。イギリスの平均貸出金利と日本のそれを比べてみたのだろうか?単純に金利を比較するのがよくないなら、実質金利でもいいけど、比べてみたのだろうか。イギリスの金利上限がなし=無限大だとしても、現実の借入金利が無限大なわけじゃないから。

日本での自殺原因として、多くは経済的理由(困窮、借金苦などであろう)を挙げていることが多い、ということなのでは。借金苦には、住宅ローンもあれば、教育資金もあるかもしれないが、サラ金の取り立てを苦にすることは少なくないんじゃないのか、という話だな。イギリスでもそういう取り立てがあるとか、返済の為の借金を重ねる文化がある、ということなら、比較の意味があるかもしれんが。

たとえば昔の質屋の入り口は、人目のつかない裏通りにあったりすることが多かったんじゃないかと思うが、そういうのはイギリスでも同じく存在する(同じくらいに人目を忍び恥とする)ものなのかどうか、という話にも似てる。貸出金利がいつの時代でも上限に張り付いていることが多かったのなら、それは文化的な違いというものがあるかもしれない、ということだな。秘密だからこそ、高い金利を受け入れざるを得ない、ということがあったかもしれない、といったようなことだ。stigma、これが日英でどうなのかな、という話さ。

破綻処理のコストがイギリスで大幅に低ければ、破綻を選ぶのが合理的だから。闇金から借りて返済なんて道を選ばず、バンザイした方が早いということだ。それともボッタクリに遭ったら、裁判所に駆け込まれて、この貸借はなかったことにする、新たな貸借契約を結び直される、ということであれば、貸す方は暴利の金利を吹っかけることもできやしないわけで。


そういうのは、社会制度の違いとか歴史的経緯なんかが違うことによるもので、一律の理屈が適用できるのか、とは思うわけだ。まあ以前から豪語していたと思うが、スミスだかリカード以来の知の遺産で断言できる人だから、貸金も経済学理論で世界中どこでも同じ、と言いたいのかもしれんがね。それに、貸出金利が下がるというのは、価格低下と似たような意味合いだから、需要が増加するのは普通の考え方なのでは。金利上限が100%超から約30%まで引き下げられたことによって、大手の寡占が進み信用供与額増加をもたらしたのは、普通と言えるんじゃないですかね。
インターネットプロバイダだって、業者数はどんどん減少して、寡占が進みましたが。価格も低下してきたわけですがね。需要は勿論増加したわけで。90年代と比べてみたらいいんじゃないですか。それは経済学の理屈からみて、間違ってるとでも?(笑)


これは、まあいい。


貸金業法改正の際、総量規制が生み出されたのは、上限金利反対派たちの出してきた出鱈目理論と早大の坂野論文を鵜呑みにしていたことによる、ということだ。彼らによってもらたされた、最大の悲劇である、ということだ。
経済学理論バカどもの、狂信的ともいうべき愚かな考えに固執した結果だ、ということだな。


橘氏のような、経済学理論の正しさを信じ、200年余の知の遺産を適用しろと強要していた連中が考え出した、最悪の政策が「総量規制」だったということだな。上限金利に反対していたというだけで、これを強引に通す為に無理矢理「掲げられ続けた」政策だった、ということなんだろうよ。

当方のような無知に指摘されたことが面白くない、たったそれだけのことで誤った政策が維持されたということなんじゃないのか。それは、ポピュリズムなんかじゃない、狂った「知識人気取り」の理論バカどもが間違ったせいなんじゃないのか。つまりは、経済学の教科書に書いているようなことを信じて、それに基づいて考えついた政策が「一番悪かった」という、まさに世界金融危機と相似形の「愚かさ」を見せただけ、ということ。



当方の見立てが違うかもしれないので、別な意見があるなら、是非とも拝聴したいですな。