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最高裁違憲判決を無視した選挙制度改正

国会議員の中に、我が国は法治国家である旨発言する人間がいる。けれども、本当に法治国家と言えるのか。法に基づくと言いながら、最高裁違憲判断を平然と無視しているのが国会であり、その構成員たる国会議員たちである。彼らの得意技は、法を無視することらしい。


つい先日に繰り広げられた田中文科大臣の不認可騒動にしても、同じようなものである。法を無視して勝手なことをしようとする傾向を如実に示している。最高裁違憲状態であると判示した衆院選挙にしても、これを法に適合させようという意思さえ見られないわけである。


自公は単に選挙がやりたくて仕方がないので、目先の「0増5減」を先行実施させようという腹積もりになっただけである。最高裁の示した判断に従い、選挙制度改正によって主権者たる国民の権利を保護しよう、などという崇高な考えなど、これっぽっちも持ち合わせない、自己の権力欲と願望を満たさんが為に、「さっさと選挙制度改正をやってしまおう」というだけだ。


このことは、拙ブログにおいてもうっかり主張してしまったことがある。

4/1>増税法案の前に、国民の選挙権行使を保障せよ


これは、決してエイプリル・フールのウソ記事などではない。この中で先行実施できるはず、ということを書いてしまったのだが、お詫びせねばならない。最高裁判決文を読むと、選挙制度の問題点について、多くの指摘がなされていた。読んでいなかったのが悔やまれる。


判決文の文章では長いが、以下のこども向け記事が簡潔で判り易い。

http://mainichi.jp/feature/maisho/news/20121101kei00s00s004000c.html


このように、子供でも知るところであるのに、自公が焦って0増5減をやろうとしているのである。彼らは最高裁を軽んじているとしか思われない。憲法81条を尊重するのであれば、最高裁判決を安易に無視することなど、到底できることではない。



最高裁判決でも幾度となく指摘されているのが、「1人別枠方式」の制度自体の問題ということである。ほぼ多数意見として、この仕組みが違憲の根本的問題点である、ということだ。この指摘は、平成19年の最高裁判決でも出されていたものであり、その時から何らの解決も図られてこなかった、ということである。最高裁の、ひいては法が要求しているのは、この「1人別枠方式」を廃止すべきということであって、姑息な制度改正などではないだろう。


それが証拠に、以前に行われた北海道や静岡の定数削減という姑息的な目先の改定が何らの効果ももたらさなかったばかりか、かえって較差拡大を助長している始末、と判決中で断じているわけである。



最高裁大法廷平成23年3月23日判決というのは、平成21年衆院選時点では、制度的には違憲状態ではあったけれども、その解決が間に合わなかったからといって憲法違反(選挙無効)とまでは言えない、というものであった。つまりは、(司法のお情けともいうべき)”執行猶予”というようなことであり、時間を(もう少し)与えるから「解決せよ」と司法から促されたものと考えるべきである。次は選挙結果の無効、選挙そのものの違憲判断を出すぞ、ということであろう。


これについて、判決文では、次のように示されている。


本件選挙時において,本件区割基準規定の定める本件区割基準のうち1人別枠方式に係る部分は,憲法の投票価値の平等の要求に反するに至っており,同基準に従って改定された本件区割規定の定める本件選挙区割りも,憲法の投票価値の平等の要求に反するに至っていたものではあるが,いずれも憲法上要求される合理的期間内における是正がされなかったとはいえず,本件区割基準規定及び本件区割規定が憲法14条1項等の憲法の規定に違反するものということはできない。



また、1人別枠方式の問題点について、これまでの経緯は以下のように示された。


1人別枠方式は,おのずからその合理性に時間的な限界があるものというべきであり,新しい選挙制度が定着し,安定した運用がされるようになった段階においては,その合理性は失われるものというほかはない。前掲平成19年6月13日大法廷判決は,本件選挙制度導入後の最初の総選挙が平成8年に実施されてから10年に満たず,いまだ同17年の国勢調査も行われていない同年9月11日に実施された総選挙に関するものであり,同日の時点においては,なお1人別枠方式を維持し続けことにある程度の合理性があったということができるので,これを憲法の投票価値の平等の要求に反するに至っているとはいえないとした同判決の判断は,以上のような観点から首肯することができ,平成8年及び同12年に実施された総選挙に関する前掲平成11年11月10日各大法廷判決及び最高裁平成13年(行ツ)第223号同年12月18日第三小法廷判決・民集55巻7号1647頁の同旨の判断についても同様である。


まとめると、


・制度的合理性として時間に限界がある
最大判平19.6.13は17年選挙に対する判断で当時には違憲と言えなかった
国勢調査結果も17年だった、導入から10年未満だった、から)


ということだった。


しかし、21年選挙となると、

「19年最高裁判決で問題だと言っといただろ」
「導入10年未満規定も過ぎてるぞ」
「合理性の時間限界を超えてるだろ」
国勢調査結果もまる分かりだろ」

ということで、過去の合憲判断の根拠となしてきた理由は、殆どが該当していない、ということになってしまったということである。よって、平成23年最高裁判決は違憲状態であるぞ、とはっきり言ったものである。


かろうじて憲法14条1項等には反しない、とした理由としては、19年に最高裁判決を言い渡してから(2年ちょっとの選挙だったので)「まだ時間が足りなかったので、改正手続きが間に合わなかったんだね、これは止むを得ない理由として配慮しておくね」ということで、合憲とされたものである。
しかしこれも、最高裁の言う「憲法上要求される合理的期間内における是正」が、例えば3年を超えたら「合理的期間内」に入るか否か、ということが問題となってくるわけである。21年判決でも指摘した、23年でも指摘した、それでもなお「解決されない」ということであると、不作為そのこと自体が違憲であると判示されないとも限らない、ということだ。事実、つけられた裁判官の意見には、それが示唆されていたと考えられる。


従って、衆院選挙制度改正を行うに当たっては、まず最高裁で幾度も指摘された「1人別枠方式」の抜本改正であり、違憲とされた制度を温存しておく合理的理由は国会や政府に示せるものではないはずだ。


果たして「憲法の要求する合理的期間内」というのが、何年なのか、どれくらいの期間なのか、というのは具体的に示されていない。そして、過去の「政府側からの暗黙の圧力」によって、最高裁判断をいかようにも影響を与えることができ、政府に有利な判断を引き出せる、ということを含みにしているとしか思えない。



そうした発想そのものが、司法を無視し、最高裁の政治的利用を温存し続ける根源であると思われる。その証拠として、「抑制的な判決が出される」などという暗黙の要求をしている議員がいるわけだ。


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121111/stt12111112490002-n1.htm

2012.11.11 12:48
 公明党の漆原良夫国対委員長は11日のNHK番組で、最高裁違憲状態とされた衆院小選挙区の「1票の格差」を是正する新たな区割り手続きの途中で選挙になっても、定数を「0増5減」する法案が成立していれば、選挙無効には至らないとの見方を示した。
 「首相の解散権を拘束するのは難しい。(無効訴訟を起こされても)三権分立の観点から抑制的な判決になるのではないか」と述べた。党の主張する年内解散・総選挙を促す発言とみられる。「新たな区割りを定め、周知期間を設けて選挙をするのが一番望ましい」とも指摘した。

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こういう発言の根本にあるのが、「裁判所は政府に従って当然」という思想である。政府に不利になるような判決を出すのは好ましくない、だから「政府有利となるように判断してくれ」=抑制的な判決、ということになるのだ。
これを司法軽視と呼ばずして、何と呼ぶ。


こういう連中に国会議員の資格があるのか、と嘆きたくなる。
国会は、最高裁判決に従い、違憲を解消すべく選挙制度改正に真剣に取り組むべきだ。