怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

最低賃金に関するMankiw教授へのobjection

興味深い記事を拝見した。

http://blog.livedoor.jp/sowerberry/archives/34116292.html


最低賃金の設定によって、雇用保険給付のような政府支出に改善効果が期待できるかどうか、ということが論点となっているのだろうと思われた。政策効果がない(むしろ悪影響)ならば、誤った政策であるということになるだろう。
件の論文での「efficient rationing」が現実に照らして妥当なものなのかどうか、という点においては、疑問であるという意見をマンキューが持っている、ということは理解できる。そのような強い仮定を想定することは、やや現実離れしているように思えるのは、私も同じだからである。


たとえそうではあっても、最低賃金が必ずしも悪である、とは思わない。経済学で想定している市場というのは、それほど競争的というわけでもないし、市場の調節機能が机上で想定しているほど発揮されているわけでもないと思えるからである。
そう考える理由の一つには、消費者金融市場に似ていると感じる、というものがある。貸金の実態を見てみると、貸し手優位な市場であったことが窺われ、しかも借り手側が情報を十分知っているわけでない上に、十分競争的環境であったとも思われないからだ。
借り手は「よく知らない」為に最低貸出金利の業者を必ずしも選択できておらず、自分自身の信用情報・リスク評価というものが判らない。貸し手は借り手の無知を利用して、どんな借り手でも一様に近い水準の金利を適用しており、上限が40%なら40%という貸出金利適用が大多数(借り手の8〜9割)となってしまう、といったようなことがあったわけだ。貸出金利は、借り手のリスク評価が正確に反映されているわけでない、ということである。そんなものは経済学の屁理屈しか知らない連中の、おとぎ話でしかない。


これは通常の企業借入でも同じようなものである。
ある中小企業が銀行借入を行う場合、都銀・甲、地銀・乙、信金・丙が提示する借入金利が、以下のようなものであるとしよう。

 都銀・甲―― 1.5%
 地銀・乙―― 2.5%
 信金・丙―― 2%


ここでどこから借りるのが一番良いだろうか?
借入金利という費用面だけ考えれば、1.5%の都銀だ。しかし、都銀は必ずしも小口融資に積極的ではなく、所謂「貸し剥がし」のような資金引き揚げな情け容赦なく実行してくるかもしれない(『半沢直樹』的世界、といったところだろうか)。

借入金利の面では、資金コストの最も低い都銀は提示金利も低くできるわけだが、取引の殆どなかった中小企業なんぞに、そうそう貸出してくれるはずもないし、大手法人を相手に億円単位で取引しているのに、高々数百万円では割に合わない、ということもあるかもしれない(審査コストはそれなりにかかる)。

だから、借り手側にしても、都銀を選び難いし、手近な地銀や信金の方がいいと考えることはあるだろう。たとえ地銀の提示金利が高いとしても、借り手が事前に信金や都銀の提示金利を正確に知ることはできないので、一度取引が始まってしまうと、どんなに地銀・乙の金利が高いのはおかしいと感じていようとも、審査段階を全部最初からやる労力とかを考えると、取引銀行を変更するのは非常に面倒なので、仕方なく金利が高いのに地銀・乙に縛られ続けることになるのである。


変更コストは、そうした審査だけに限らず、担保設定変更で登記関連費用や銀行の事務手数料とか印紙代とか、モロモロの費用がかかるというのもある。なので、変更するのは大変なのだ。これは、就職後に職場変更に伴うコストと似ている。移動するのは、それなりに骨折りである、ということ。新しい職場での人間関係構築を初めからやりなおさなければならないのは、大変なのだ。


労働市場がいかに競争的であろうとも、現実の労働者が企業を移動してゆくのはコストがかかる。日本においては、その移動コストは恐らくアメリカに比べると高いかもしれない(転職がそれほど一般的とは言えないから)。目先の賃金だけで労働市場を泳いでゆくのは困難なのだ、ということである。上で見た、借り手が地銀・乙から都銀・甲や信金・丙に移動するのは簡単ではない、というのと同じ。金利水準というたった一つの目安から判断すれば、「都銀に行けばいい」という夢想家的な経済学者でもすぐに分かる答えが導き出せるが、現実はそう単純ではないのだ。


労働者は、職業(職場)を移動するのは、決して安くないコストを払う必要がある。


もう一つの視点として、労働者を雇う企業側が優位な市場である、と感じる場面が多い、ということがある。貸金市場と対比すると、次のようなことである。


        供給側   需要側   供給するもの
貸金市場    貸し手   借り手   お金
労働市場    企業    労働者   仕事


労働市場の経済学的検討の場合には、「労働力供給」という立場で労働者側が供給側となっているが、現実には企業が仕事を供給し、労働者がそれに応えるという形式であるように思える。「求人を出す」という感覚に非常に近い。供給しているのは雇う側なのだ。

大抵の場合、労働者は飢えるが、企業はそう簡単には死なない。
領主が耕作地を提供し、耕作地に応募する労働者が耕すわけだよ。小作農たちはその労働対価を得ることができるというわけだ。仕事がそれしか存在しないと、小作農は耕作地にありつけない場合、食えなくなる。そうすると飢えて死ぬことになる。だが、領主さまは全ての耕作地に小作農がすぐに見つけられない場合であっても、滅多なことでは飢えて死なない。

領主同士の競争が完全である場合、小作農は最も条件の良い耕作地に移動できる。しかし、条件の良い耕作地は順次埋まってゆき、段々と対価の少ない土地しか残らなくなる。収穫高の少ない=能力の低い小作農が条件の悪い土地に割当られるのかもしれないが、現実世界では小作農の能力評価が正確ではないので、必ずしもそうなっていない。能力の高い小作農が安い賃金に甘んじることはよくある、ということだ。そして、土地を渡り歩くのは大変だ。だから、少々条件が悪くとも、土地に縛られて、そこを耕し続けることになる。領主さまは離れないのだから、条件を良くしたりはしないだろう。現実世界において、小作農が好きな土地を耕せる、という仮定はほぼ無意味であることは、多くの人が同意することだろう。条件を選べる人は、ほんのごく一部に過ぎない。


また、企業は経営側と言い換えてもよく、雇う為の条件を労働者よりも正確に知っている。それは、募集する際の、時給であったり、賃金条件に反映されているのだ。労働者側は、自分の正確な評価など多くの場合には知らない。自分自身に「値付け」ができない、ということである。需要側が自分の評価を知らない、というのは、貸金での借り手がリスクを評価できないのと似ている。貸し手側が「あなたに適用される金利は40%です」と言い切ると、信用情報も知らないしリスク評価も知らない人は、その提示金利が妥当なものなのかどうなのかが、判断できないのだ。唯一あるとすれば、いくつも申し込んで最低金利の提示のあった所を探しだすよりない、ということである。


労働者自身も、いくつも仕事を申し込んで、一番条件の良かった所に決めるしかないのであるが、現実にはそれが難しいのである。全業種に試すことができないし、検討材料となる資料も少ないからだ。雇う企業側は、労働者よりも判断する材料を多く持っている。経営指標などで検討できるから。賃金水準がどの程度であれば、利益率がどう変わるか、といったようなことを企業は知っている。労働者は知らない。そこで、企業側が労働者に「本当の価格」よりも安い賃金を提示して、労働者が値付けできないことを利用し、実際の価値よりも労働者を安く手に入れることが可能となる。


ロードサイドのドライブインとか安いレストランの、利益率を知っている人間など滅多にはいないだろう。ましてや、限界費用だの限界利益率だのを分かるはずがない。だが、雇う側はウェイトレスにいくらまでなら払えるかを知っている。高い方は自ずと決まる(赤字水準が分かるからだ)が、最低の方はどうだと思うか?
もしも、完全に自由な環境であれば、食うに困った人が仕方なく時給が安くてもいいから仕事をさせてくれ、と頼むかもしれない。リーマンショック後に、投資銀行で勤務してきた有能な人が、ガソリンスタンドの店員とかマクドナルドの店員として働いたりしただろう。あれは労働者の能力や先行投資額には無関係に、「背に腹は代えられない」ということだけで起こるわけだ。

雇う側が生産能力に応じて値付けを行えばよいのだが、必ずしもそうはならない。完全競争市場であれば、安い賃金提示をされた労働者は直ぐにどこかに行ってしまうので油断も隙もあったものではないのだよ。だから、ぴったり正しい賃金が提示されることになる。しかし、現実世界での賃金というのは、「土地に縛られる小作農」のように、仕事を失いたくないとか転職コストの問題などで、そう簡単には移動しない。だから、生産能力100の人に対して、能力が80の人に支払う賃金しか出さないとしても、企業側は「いい人材を安く手に入れることができた、良かった」と得をする=利益が増える、ということになるのだ。人件費は抑えられ、利益が上がる、これが経営としては正しいのだよ。


失業率が高い場合、企業側はどんどん条件を悪化させることが可能となる。だって、応募してくる人が大勢いるから、だ。労働市場参入者を増やせば、労働者間の競争は激しくなり、失業率が高くなるのは当然だ。
労働者は全ての市場を正確に知らないし、全部を見渡すこともできない。教師はその業界のことは知っていても、建設業界とか金融業界のことまでは分からない。隣の市場に移るのは、容易ではない。賃金水準が妥当なのかどうかも、よく分からないのだ。


居酒屋があるとして、生産能力100以上の人間を集めて、人件費の平均が80の人の水準で支払うと、利益は大きくなる。その居酒屋は優良企業となり、利益率が高いということで、他の同業者を駆逐してゆくことができるようになる。業界大手となってしまうと、その居酒屋が業界平均となることができるので、自動的に賃金水準は切り下がって80の賃金が定着することになる。社会的に妥当とは言えない水準の賃金である場合、労働者は全部他の職業に移動してしまうはずなので、居酒屋業界は縮小するだろう。


しかし、サービス業界全体で切り下げられてしまうような場合、労働市場参入者が多くて(例えば、主婦→パート労働者として供給)、労働力供給が増加したことにより価格低下に拍車がかかる、ということだ。
賃金が安過ぎる場合、本当は労働市場から退出すればよいはずだが、それを行うことで現実の生活面で窮乏する場合がある。住宅ローンが払えない、子供の私立学校の学費とか進学費用や塾などの教育費が払えない、親の介護費用や医療費が払えない、などである。なので、労働市場からの退出も簡単ではない、ということがあるだろう。


貸金市場において、ヤミ金ばかりではなく、武富士SFCGといった上場企業が巨額利益を挙げていたのは、需要側の無知(情報不足)を利用したものであったからであり、現実世界では企業間競争というのは不完全なものだ、ということである。昔風な言い方をすれば、抜け駆けする悪徳企業が巨額利益を稼げる、ということだな。社会の人々がそのカラクリに気付くまで、続けることが可能だ。


労働者側の情報不足を利用して、企業が人件費を安く済ませる方法を編み出してくる以上、それを抑制する手段を考え出すのは当然なのではないだろうか。業界全体が割と小さく水準の比較などがしやすい場合には、労働者は割と簡単に移動できてしまう。医療業界や介護業界はそうだろう。例えば看護師募集とか介護職員募集が年がら年中のようなことになっているのは、そうしたことの反映であろう。
アメリカでの旧投資銀行なんかの業務にしても、業界全体で見れば労働市場規模が小さいので、ヘッドハンティングなどが盛んに行われたり、転職する人は少なくなかった、ということではないか。つまり、労働者側が割りと業界内を広く見渡せて、比較容易であったり、自分の評価を行い易い業界においては、競争的な環境であり転職が珍しくない。しかし、業界間の垣根を超えてゆくような場合とか、自己評価が難しい、労働者間の比較が難しい業界においては、労働者の能力と賃金が必ずしも正確に反映されているわけではない、と思えるのである。


そのような時、雇う側は知っており、労働者が知らないという場合に、その情報格差を利用して儲けることが可能となるのである。稀少本とか骨董品屋の値付けなんかでも、同じようなことがある。価値の高いものであっても、店主が「知らない」が故に安い価格を付けてしまうことがある。価値を正確に知っている人間は、安く手に入れて儲けられるのだ(セドリとか言われるものも似てるかも)。労働者が自分自身に「安い価格」を値付けしてしまっていれば、割安と考える企業が買う(=雇い入れる)ことで儲けられる、という仕組みと同じようなものではないか、ということだ。


邪悪企業が相手の無知に付け込んで儲けるのを防ぐ為に、最低賃金を設定するのである。労働者側が不利な条件が多いから、なのだ。Dr.Mankiwはそういうことを知らなさすぎるのではないか、ということである。
なんなら、自ら皿洗いの仕事でも1年間くらいやってみると分かるかもしれない。