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続・法学者は信頼に足るか?〜安念潤司中央大教授の場合

以前にも書いた(
http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/308038dda28248a10cc9babf9556a3b2)が、再び宣言しておこう。
当方にとって、日本の法学者は必ずしも信頼に足るとは言えない、これが率直な感想。今回は、安念教授の言説を取り上げることにする。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%BF%B5%E6%BD%A4%E5%8F%B8



どういう発言をしてきたのかよく知らなかったが、yahooで池田のしょうもない記事を見かけたので。よく見ると随分と前の記事なのに、何故か雑誌か何かのコーナーに上がっていた。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51873005.html


本来、運転中の原子炉を停止させるためには、当局が原子炉等規制法に基づいて運転の停止を命令するか、あるいは原子炉設置許可を取り消すかしなければならない。だが現状では、こうした処分を受けた原子炉は存在しない。電力各社には、原発の運転を停止していなければならない法律上の義務はないのである。

また、検査終了後に当局が交付する検査終了証は単に事実を証明する文書にすぎず、運転の停止義務を解除するような法的効果があるわけではない。したがって、電力会社は定検のうち原子炉を停止させる以外実施しようのないプロセスが終了すれば、法令上は運転再開できるのである。

もっとも、本年7月8日「新規制基準」が施行された結果、各電力会社はこれに適合すべく、原子炉関連の機器の新増設などの措置をとらなければならなくなった。[・・・]しかし、これらの許認可申請のために、電力会社は原子炉の運転を停止する法令上の義務を負うわけではない。許認可手続きと原子炉の運転は並行して行えるのである。

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まず、安念教授が東大法学部卒の法学者で弁護士ある、ということを理解した上で、敢えて苦言を呈したい。こんなレベルなの?、と。

いくつかの論点に分けて、当方の主張を述べる。


1)旧法と改正法の関係

法学者に向かって釈迦に説法みたいですが、分かり切ったことではあるけれども、書くこととします。

まず、法改正の際に、その前後において取扱の変更がなされる場合となされない場合がある、ということです。
例えば、会社法改正で、旧法上の「有限会社」は改正会社法上では一致しませんが、改めて改正会社法上の「法人格取得」が必要とはされていないものと思います。つまり、以前の許認可取得の権利が改正後にも「引き継がれる」ということです。或いは、薬剤法が改正されても、旧法上で取得した薬剤師の免許は、改めて薬剤師の免許取得の申請を必要とはしないでしょう。
このような場合においては、改正以前に取得した許認可の権利が改正後にも生きる、ということになります。

他方、必ずしもそうならない場合もあるでしょう。
具体的には、公益法人改革の一環で、旧法上で公益法人の法人格を取得していた場合であっても、法改正後には旧法上の法人格を失う、ということがあるわけです。会社法改正とは違いますよね?改正後の基準に合致しない法人については、以前にいくら「公益法人の法人格を取得していた、だからその権利は続いている!」と言おうとも、改めて申請を出し直して法人格取得が義務となっているわけです。基準に合致しなければ、別法人格に変更を余儀なくされるということです。

或いは、貸金業者も同じでしょう。
旧法上では貸金業の認可があると言っても、新基準に合致しない業者については「認可できません」ということになり、基準未達業者は廃業とせざるを得ません。旧法上の許認可の効力が法改正後にも継続されるか否か、というのは、その法律毎で社会的影響なども含めて個別に考えられている、ということです。


これらは、法律家の皆さんにとっては当たり前のことでしょうから、誰しもご存じかと思います。新基準が出された後であっても、「旧法で合格していた原子炉なんだから、運転ができる」と主張するからには、上で見たように「有限会社は法改正後でも有効だ」というのと同等の根拠を有する、ということになります。具体的には、有限会社法は廃止、有限会社は特例有限会社として存続(根拠法=会社法の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律、1条、2条、3条、など)、といった法的根拠の提示が必要でしょう、という話です。
安念教授においては、旧法上の合格なり許認可があれば運転できる、と主張する法的根拠の提示ができることでしょう。


2)大飯3、4号機の再稼働は何故できたのか

簡単に言えば、法改正直前の駆け込みだったから、ということかと思います。原発ゼロでも電力供給は足りる、という既成事実を恐れた原発推進勢力が政治的に野田政権にごり押しした結果であろうと思います。関係閣僚会合と称して、安全宣言を出し再稼働要請を政治的に行いました。そこには科学的態度というものは必要なく、単に「前にも動いていたのだから、今も動く」ということをやって見せたに過ぎません。東日本大震災のような巨大地震などや大災害が発生しても、どの原発もきちんと管理でき安全が確保される、ということを保証するものなどではありません。

では、法的にはどうでしょうか。
当時は原子力規制法が出る前であり、新基準適用も当然ありませんでした。よって、旧法上での原子炉運転(申請が法改正前だった)ということになります。旧法上では運転停止を命じる権限はない、などというデマが広まっていたように記憶していますが、当方の見解は全く違っています。


12年5月
http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/b0d59829c3c7d106b452d63a395539bb
http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/9920e8190a7520908716ad62a03ec3ea
http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/61e844b00547ae0d5c796dbbde3a906e


形式的には、電気事業法29条の届出関係に不備(同法施行規則46条の未達)がある、ということであれば、経産大臣は計画変更を勧告できる。また、実用発電用原子炉の設置、運転等に関する規則、「7条の5」規則違反の原子炉であれば、原子炉等規制法第35条第1項違反となり、主務大臣は「原子炉施設の使用の停止、改造、修理又は移転、原子炉の運転の方法の指定その他保安のために必要な措置を命ずることができる」のである(同法第36条第1項)。


つまり、主務大臣権限を発動すれば、運転停止命令は可能だ。
ただ、行政の実務上では、行政側が改善命令や営業停止命令発動を行うのは、事前の行政指導の形式を取る場合というのは珍しいものではないはずであろう。


具体的には、たとえば金融庁が生保・損保会社などに対して「保険金不払い問題があった、だから過去数百万件の契約を全件見直せ、不払い金を全部払え」という行政指導を厳しく行い、そうした指導に従わないような保険会社に対しては、更に上位の「勧告、命令」などの発動(行政処分)となるわけです。命令の発動を招いてしまうなると、保険会社としても対決姿勢が鮮明となりますし、ヘタをすれば営業停止や許認可取消権発動といった、更なる強権発動を招来してしまいかねません。

このように、大臣権限発動を招いてしまうことが想定される場合においては、事業者側が自主的に行政指導に従う、ということが一般的に行われているわけです。


よって、原発を停止していた事業者というのは、本来こうした「大臣権限が発動される可能性」というものを考慮に入れた上で(政治的には、ということだが、現実には大衆からの批判を恐れて、ということだ)、行政指導=浜岡原発停止の要請に従った、と形式的には解釈可能なのである。
他方、大飯原発再稼働の際には、主務大臣の原発停止命令の発動は確実に封印されている(=野田総理以下官房長官&枝野経産大臣が「運転してくれ」と要請)ことが明らかであった為、電気事業者側が本当に「規則7条の5」違反がないかどうかは自信がないとしても、法解釈・適用権限は行政側にあるのであるから、運転を再開することは不可能ではなかったわけである。本来であれば、行政側が「大飯原発は原子炉等規制法35条1項となる可能性が大なので、運転しないように(=運転した場合には大臣命令が発動される)」と指摘することはできたのである。


安念教授の主張の明らかにおかしいところは、命令か取消処分しかない、という決めつけである。だったら、例えば金融庁だの国税庁の指導というのは一切存在しない、とでも言うつもりか?

安念教授が書いたことは、実務を全く無視した主張であろう。
条文の形式上では、行政側の発動権限は強力なものは多々あるわけだが、それがいきなり行使されるのは、むしろ珍しいのではないのか。


(そもそも、事故原因分析もできていないのに、最新知見の反映だの、妥当な保安活動や実施手順だのといったことが、達成できていたと思うか?免震重要棟すらできてないのに、予防措置が取られていると?
出鱈目言うな。法を解釈し、適用するのは、行政側だった。それだけ。)



つづく