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在日米軍に法は全く通用しないのか〜2

(続き)


在日米軍は軍隊だから、「日本の法律なんて守らなくてもいいんだ」的な出鱈目が横行しているように思える。ならば、米軍というのは、全くの無法無頼集団だとでも言うつもりか?(笑)
そんなわけないだろう。
米軍といえども法によって規律されているに決まっている。


米国法を知らないので、米軍の法体系がどうなっているのかは分からない。が、軍隊である以上、米国法で規律されているだろう。


例えば、自衛隊が海外派遣をされる場合を考えてみる。
自衛隊国際法上では軍隊の取扱となるであろう、と言われている。じゃあ、自衛隊は国外に行けば日本の法律の域外となるから、無法集団と化すのか?違うに決まっている。

一般国際法、派遣先の領域国や国連との協定などは遵守義務がある。同時に、自衛隊の行為・行動を律するのは日本法であるはずであり、自衛隊法、国家公務員法、各特措法等によって規律される。派遣先の国内法については、どうだろうか?
この遵守義務が派遣先の国内法において規定され得ないとしても、基本的には遵守するし最大限尊重することになるだろう。PKOなどで軍隊を派遣する国々の多くは、派遣先の国内法と自国法との調整を協定上において行っているだろう。


米国の基本的な考え方としては、属地主義的な適用である。これと違うように見えるのは、シャーマン法の適用であろうか。他国民の域外行為についてまで管轄権を行使する(97年の日本製紙事件において、非米国民である日本企業が米国外での行為に対する刑事責任を有罪としたものである。amicus curiaeたる外務省の主権侵害であり国際法違反であるとの主張は全く役に立たなかった)のは、恐らく米国裁判所くらいではないかと思えるが、どちらかと言えばシャーマン法が例外的なものであって、原則的には米国法は域内でしか適用されない。


日米地位協定における刑事裁判権の種々の規定があるが、米国法においても軍事域外管轄権法(Military Extraterritorial Jurisdiction Act)が制定されている。地位協定属地主義に基づく日本国内法適用、といった考え方以外に、米国法を域外において管轄権を発揮しようとすれば、こうした法規定が必要とされる、ということである。
(因みに、シャーマン法には、域外行為に法が及ぶとする条文上の規定はどこにもないはずである。なのに米国人以外の域外行為についてまで管轄権行使されるのだ)


在日米軍キャンプ・シュワブ沖の例えば第1〜第3水域において、独占的排他的利用の権原が米国法にある、といったことは、恐らく主張できない。米国法の基本原則である属地主義とは相容れないし、合衆国軍隊=合衆国政府が沿岸土地所有者であれば水面域・海底までも排他的利用を主張できる、といった連邦法などそもそも存在していないはずだから、である(あっても低潮線まで、だったか)。


そうすると、在日米軍キャンプ・シュワブ沖で訓練する権利を主張できる理由は、単に日米地位協定の合意文書に書き込んだから、ということだけである。日本政府は米軍との約束を守り、これを果たす義務を負っている、とは言える。それが、国際関係上の礼儀だから、である。
(ならば、米国も同じく約束を守る義務を果たせ、と言ってやりたい。国際礼譲とは普通は双務的なものであり、義務的行為でもない。あくまで礼儀だ。日本国憲法98条2項が条約遵守だからといって、米軍が日米合意を遵守しないのに、日本だけが一方的片務的に国際礼譲に従う意味など本来ないものというべき)


しかしながら、日本国政府が合衆国政府に約束したことを、日本国民が無条件にこれを遂行しなければならない義務を負うのか、と言えば、それは全く違うであろう。

過去において、米軍の用に供された土地について、訴訟となったものがあるが、そこでの理屈とは例えば次のようなものであった(あくまで仮想の事例である)。

地主Aは「駐留軍用地特措法」(若しくは土地収用法)により、米軍が使用するという理由で所有していた土地を国に召し上げられたとする。米軍は土地利用方法として弾薬庫を作る、として日米合同委員会合意が得られていたものとする。
しかし、その後米軍側の計画が変更され、収用された時点では弾薬庫の建設目的であったものが、機関銃の射撃訓練場になってしまった。この時、地主Aが国(或は米軍)に対して、土地利用目的変更は手続上の瑕疵であり、間違った目的で土地を収用したのは違法なので収用自体が無効だ、よって土地を返還せよ、と求めたとしよう。

過去の例では、地主敗訴が確定してきたものである。米軍は日本政府との契約において当初の利用目的を果たすのが通常と考えられるが、それは政府間の関係性であって、地主Aに対する法的義務を負っているものではない、とする考え方である。日米政府間の契約変更があったとしても、これを理由として日本政府と地主Aとの間での契約(この場合では土地収用に関する約定)に変更すべき理由があるものでなく、収用を無効とすることはできないから、ということだ。


これは、キャンプ・シュワブ沖の利用制限についても同じことが言えよう。米軍に対して区域の提供を約したのは日本国政府であるが、それはあくまで合衆国政府と日本国政府との約束なのであって、日本政府とある1人の私人(一般国民)との約束事とはなり得ない、ということだ。すなわち、日本国政府は、合衆国政府(米軍)との間にある条約(合意事項)の存在を理由として、国民に同じ義務を無条件に負わせることなどできない、ということである。唯一可能なのは、立法(根拠法)がある場合のみ、である。


現在の防衛省海上保安庁の屁理屈を言えば、次のようなものが合法となってしまう。

日本政府は外国政府Bとの間で条約を締結した。毎年100万円を無償で援助する(支払う)、という契約(約束事)である。さて、日本政府は、この外国政府Bと締結された条約があるから、という”理由だけ”で、日本国民Cから何らの法的根拠もなしに100万円を徴収するようなものだ。「条約の義務を果たす為なので合法だ」と主張しても、それで法的根拠とはなり得ないのに、である。これを合法と主張できる法理が一体全体世界中のどこにあるのか、教えてほしいものだ。普通は、暴力とか無法と呼ばれる行為なのではないのか。


国家が国民の権利を制限する以上、何らの制限もなく実行できるなどとということが許されるべきではない。例えば「財産を差し出せ」とか「海を利用できない」とか「自由に行き来するな」といった一般国民の権利侵害が政府に許されるのは、制限する利益が私人の自由享受の利益を上回るからであり、立法府において正当な民主的手続を経た制定法によるから、である。


これらから導かれる結論は、防衛省告示第123号は、あらゆる点において、重大かつ明白な瑕疵があり、法的根拠が皆無の文書である。海域を提供できる根拠はないし、国有財産でもないし、独占的支配を主張できるものでもない。根拠法なく、最高裁判例にも全く反している。
にも関わらず、これを自分勝手に提供した挙句、この区域内の通航制限を何らの法的根拠もなく行い、更には国民の身体拘束を繰り返すことなど、無法の極地としか言いようがない。


もう一つ、大事な点について言及しておきたい。
軍隊というのは、命令に服するのが当然である、と考えられているだろう。それは、前提条件があるからだ。軍隊が国際法上でも特別の法的地位が与えられているのは、軍隊の属する国における法体系が「正当かつ国際法上妥当なもの」であるだろうから、だ。


上官の命令が違法である場合には、これに服従する義務がない、というのは、一般的な規律だろう。非人道的行為などもそう。犯罪を構成することが分かっている場合にも、これを行えば実行者自身が戦争犯罪人として処罰される可能性があると認識するべきである。

一般国際法違反ではないこと、国内法で違法ではないこと、専ら軍事的目的達成の為のものであること、兵士自身の人格や尊厳を著しく侵害するものではないこと、などといったことが、上官の命令に服従する義務を課される要件なのだ。各国によっては若干異なるかもしれないが、概ね基本原則は似ているだろう。イギリスの場合では、現地法に適合し合法なものが命令服従義務の条件として含まれる。


海上保安庁辺野古沖でやっている行為は、これら軍隊の規律に照らしてでさえ、命令服従が必須とは言えないものなのである。
この意味が分かっているのか。海保よ。
規律なき組織、法を無視する組織とはな。
それは愚連隊のようなもので、そこまで落ちぶれてしまったか。


ハワイの革命の頃、東郷平八郎艦長率いる『浪速』がホノルル港に停泊していた時、軍艦に逃げ込んできた日本人脱走犯をどうしたか知っているか?
治外法権ではあったものの、ハワイ政府に引渡したんだよ。国際法に従い日本人保護を理由として艦内に留め置いたものの、海軍省の判断は現地官憲に委ねるべし、ということだったんだよ。法に従う、ということは、どういうことなのか考えてみよ。


現在、日本国政府の行っていること、防衛省及び海上保安庁の行動は、明白な違法である。

この違法を追及する方法が、損害賠償請求訴訟であり、公務員職権濫用罪での告発だ。法廷闘争以外には、海保の暴力に対抗できない。