怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

日本の最高裁は究極のガラパゴス化

日本の最高裁裁判官たちは、横田基地騒音訴訟において、『主権的行為であることは明らかであって,国際慣習法上,民事裁判権が免除されるものであることに疑問の余地はない』と、宣言してくれた。


疑問の余地がない、と?
よくもまあ、そんなことが平気で言えたもんだな。
疑問だらけではないか。

  福田博、河合伸一、北川弘治、亀山継夫、梶谷玄

これがその裁判官たちである。
裁判所の役割とは、政府やアメリカを守ることであると勘違いしている、日本国民の敵である。権力側を守り、一般市民を虐げる、まさしく悪代官を絵に描いたような連中なのだ。こんなヤツラが、法を支配する限り、日本が良くなることなどあり得ないだろう。最高裁に巣食ってきた連中というのは、こういう輩ばかりだった、ということだろうね。逆に、そういう人間じゃないと、最高裁判事になんかなれないんだ、ということさ。



彼らの言う国際慣習法などというものは、偽物である。
世界の慣習や潮流からは大きく外れた、全くの日本独自の「国際法」のようにしか思えない。国際というんだから、世界と同歩調でないと意味がないでしょうに。どうしてこんなことが起こってしまうと思うか?


それは、最高裁に「疑問の余地はない」などという出鱈目を高らかに宣言させ、これを漫然と放置し続ける、日本の法曹界・法学会だからなんじゃないのか。

何故、法学の世界において、このような職務怠慢か最高裁判事としての職務放棄に匹敵するような、恥じるべき判決について、強い批判が起こってこなかったのか?


何の為の、評釈なんだよ。
何の為に、研究しているんだ。


最高裁判決は、おかしいんじゃないか、という批判と検証が繰り返されてこなかったからこそ、おかしな判決が量産され続けてきたんじゃないのか。理屈に合わないことが、平然と行われ、最高裁が誰からも咎められないことをいいことに、好き勝手な判決を生み出してきたのではないのか。



本当に幻滅するわ。
日本の法曹界は、どうかしてる。最高裁判決だから、というだけで、これに従い続けるという精神が、本当に信じられない。


国際慣習法という以上、必ずしも明文的ではなく、慣行そのものの変遷だってあるし、考え方が多少なりとも変化するものだろうに。他国が変わっているのに、日本だけが閉鎖的で誰からも批判を受けない最高裁であるがゆえに、自分勝手なことをできるということだったわけだよ。


こうした批判性の乏しさが、最高裁判事の増長を許してきたんだぞ。官僚たちも同じ。ペテン国家合衆国と一緒になって、外務省官僚も防衛庁官僚も、ずっと日本国民を騙し続けてきたんだぞ。


mare liberumであるはずの沖縄の海が、一体誰の権原で制限できるのだ?

在日米軍辺野古の海を「日本の政府、ないし日本の特定民間業者」に貸します、という処分権は、どういう権原から生じたものなのか?


海保よ、ただの一般人を海上で身体拘束することが、国際法上で認められているとでも言うつもりか?

海保の行為は、jus cogensに反する可能性大だ。


批判されない立場であるからこそ、政治家も官僚も裁判官も、何をやってもいいと思っているのだよ。

批判する側があまりに弱いから。
誰も批判なんかしてこないと分かっているから、だ。