怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

言論の法規制に反対する

ヘイトスピーチに関連して、リアルでもネットでも色々と勃発しているようです。
当方の率直な意見としては、在特会のデモもカウンターとか称される集団も、本質的には同一であるとしか見えません。いずれも、許されるべきでない言辞や行動があるということです。




反差別を掲げている野間易通氏(kdxn)が『艦これ』をdisったら「めっちゃ炎上」したそうで、「キモオタへの基礎教育の重要性をひしひしと感じる」だそうです

http://togetter.com/li/652340


きゃっつ(Kats)@grayengineer 氏のコメントが簡潔かつ明瞭に本質を言っていると思う。


結局、「オレの叩きは差別ではない、オマエの叩きは差別」という結論にするために都合のいい前提条件を選定しているだけのことであって、結論ありきだからまったく意味がない。そこには哲学も思想もなく、ただイデオロギーへの盲信があるのみ

言い換えるなら、自分を「正義の味方」(=暴力でだれかを傷つけたり殺しても許される特権的存在)にしてくれる変身ベルトを求めているだけなんだろうねと。つまり幼稚ってこと



最近目にしたものは、一層醜悪なものだった。
確かに国連から勧告を受けるレベル。



政治運動における「死ね」について(「安倍死ね」の論理2)

http://togetter.com/li/723783


差別的なデモや発言はやめさせるべき、という意見は、恐らく社会の多数派を占めるだろう。酷いデモの様子を見て「共感できる」という人たちは、かなり少ないであろう。

だが、特定団体の差別行為を攻撃するのは正義だ、だから「われら正義の隊」を批判する者は許さん、みたいなのを見ると、気味が悪い。到底賛同したいなどとは思えなくなる。むしろ遠くに距離を置きたい、というのが普通の感覚では。一緒に「差別に反対です」などと表明する気にはなれない。



そうした大多数を占める普通の人々の反応を想定した意見に対し、狂犬的に噛みつく姿が。



小田嶋隆と野間易通のやりとり

http://togetter.com/li/724293

小田嶋隆@tako_ashi
行動しないマジョリティーを軽蔑→主張に共通する部分があっても路線の異なるメンバーを排除→セクト化→カルト化→テロ化


ホント、そういう感じしか受けない。
たとえ同じ意見を持つとしても、彼らと同じ主張していると表明することが憚られるような存在である場合、見方を変えれば「テロ化」と同じ効果を有するかも。
「差別に反対だよ」という意見の集団があるとして、この範囲内にいる人々に対する”テロ行為”とほぼ同じような効果をもたらす、ということ。集団内に最初は100人いたのに、彼らが運動を頑張り反批判とやらで襲撃を繰り返すことで集団内の人数を確実に減らし、50人、30人と減ってゆく、ということである。


でも、この路線で来たら、「オレらはこれで成功したんだ」という認識を抱いているのかもしれない。ある種の自負?ということか。twitterの持つ性質によるのかな。相手かまわず喧嘩を売れる、ということかもね。まさしく狂犬が圧倒的に有利(笑)。



「自分が好きでやっている」「言いたいことを言っているだけ」「自分の考えに反する者たちの意見は批判されるべき」といったような傾向を備えているように見える。常に「オレの意見が正しい」という基準以外は、特に読みとることができない。自分が提示する意見についての根拠を提示することが、ほぼ皆無に等しいからなのかもしれない。だから理由なく意見を言い放しにしているようにしか見えないのだろう。


そうか、これは演劇のセリフのようなものなのか。台詞の中身には、何がしかの意味が込められているのかもしれないが、「ああ、君は間違っている」という台詞には何らの説得力がない、というものだ。

そういう時、普通の人なら「何故間違っていると考えたのですか?」と確認しようとする。けれども、理由を説明するのではなく、「おお、君はどうして馬鹿なんだい?間違いに気付かないほど愚かなのだね」と台詞を続けたりするから、演劇じみているだけで論拠が不明確なままなのだな。



例えば、「法規制すべきか」という論点に対して、ほぼ無意味な台詞だけが延々と続けられるというのに等しい。これでは議論が深まることもない。不毛なやり取りが続くだけということになる。



ただ、「差別はダメだよ」という意見を掲げる以上、こうした不毛なツイートを大量に排出し続ける存在に対してでさえ、存在を否定することはできないのは確か。だから、解決方法としては、近づかない、接触を断つ、ということくらいしか防御手段はないのかもしれない。見ないようにする、とか。



かつての自称リフレ派の一派が徹底糾弾をしていた姿を思い出す。批判する側もされる側も、毒々しさという点においては似たり寄ったりであったから。モンスター化してゆくというのは、拙ブログでも同じであった。ぼくもミイラになってしまったみたい。


話が大きく逸れてしまったが、デモや言論に関する法規制については、別に書いてみたい。