怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

狂人支配国家〜ニッポン

日本という国は、本当にどうしようもないくらいに低落してしまった。

それはひとえに、国民自身が愚かである、ということである。惰性と諦めと現状維持にしがみつくくらいしかないのかもしれない。国民の多数派がそれを望んでおり、自ら選択しているなら、それも仕方がないことであろう。


わが国の状況は、危機的である。
狂気の度合いは、上に行けば行く程いや増しており、政治でも経済でもトップ周辺が揃って低劣な人間が支配するという構図となっている。およそ組織と名のつくものは、概ね似た傾向のように思われる。


一言で言うなら、「バカのロイヤルストレートフラッシュ」達成、みたいなものだ(笑)。
政界、財界、官界、司法界、マスコミ、どれもが強固なバカの支配体制が確立されてしまったのである。こんな手ができること自体、ダブル役満級に稀なのだが、それが達成されているのであるから、なす術なしということである。


私自身は、社会全体に対する興味や関心がかなり薄れてしまった。早い話が、どうでもいい、という心境である。投げやりの極致である。
平凡な手札では、到底太刀打ちできる状況ではないのである。


せいぜいできることと言えば、待つことくらいである。
良い手が入る可能性を、じっと待つしかない。それとも、相手が自らミスをしてくれる失着を待つ、といったことだ。


日本は衰退から逃れられないのだろう。

軸がどこにも見当たらない。特に、上の方の腐り具合がハンパじゃない。そのことを反省したり恥じるどころか、「一体どこが悪いのか」と開き直るようになっており、それを支持する愚か者がかえって増えていることからして、狂人と奴隷が大好きな連中がこれほど多いのかと驚くばかりである。


昔であれば、バツが悪いので慌てて隠す、といったような恥じらいみたいなものはあっただろう。体裁を取り繕う、くらいのことはバカでも考えついたであろう。


ところが、現代日本においては、それすらも消滅したのだ。
日本の総理大臣が自ら、「どうして体裁を取り繕わねばならんのか」と完全に開き直ってしまい、体裁が良いとか悪いということすら自覚できず判断基準がなくなっており、取り繕わねばならない「体裁」そのものさえも消滅してしまっているのだよ。


要するに、どうだっていい、ということである。
それを貫いているのだ。これを許すのが、政治権力に対抗できる、ありとあらゆる権力機構なのだから。抑制作用というものが、存在しないのである。


最高裁判所を見よ。
乗っ取られてしまったのだよ、彼らのような連中に。


辺野古埋立問題について、翁長沖縄県知事がいつまで経っても撤回しないという謎現象が継続しているのも、裏ではニギっているのだろうかと疑念を抱かせるものだ。まるで戦いを避けており、敢えて負けに行っているかのような行動が目につくわけである。知事当人の問題なのか、それとも周辺の入れ知恵する幹部たちの問題なのか不明だが、これでは戦にならない。


戦うフリだけする、というのは、よくある手口だ。政府に協力し、暗に工事を進めさせていることになる。
沖縄県民に諦めさせる時間を稼いでいるだけなのでは、とも取れる。希望を抱かせておきながら、これを断つ、ということなのだろうか。


私は、自分がどうしたいのか、どうすればいいのか、何だかよく分からない。

色々な面で迷っている、ということである。