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【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

朝霞市国家公務員宿舎建設問題に関する謎〜1

財務省の異様な頑張りというものが理解できないのである。こんなに四方八方から指摘され、叩かれているにも関わらず、これほど「公務員住宅を作りたい」と熱望することの理由というものが、全く不明なのである。
そんなにまで、公務員住宅を欲しがるものなのか?(笑)
それに、大臣たちまでもが、揃いも揃って、「必要です」と容易に寝返ったりするものなのだろうか?

こうなると、考えられる理由というものは、限られている。
どうしても譲歩できない、かつ、国民には真実を明かすことのできない理由が存在する、というものだ。

例えば、建設業者等に裏で金を受け取ってしまっていて、建設の約束をしてしまい、それを反故にしてしまうと、自分が仕返しを食らってしまうとか東京湾に浮かんでしまうといったような、ドラマの筋のような場合だ。
「建設工事を仕組んで受注をさせるからな、ワシに任せておけ、げっへっへ」
「宜しくお願いしますぜ、お役人さま(揉み手)」
みたいな、昔の汚職役人といったような話が、果たしてあるものなのだろうか?

絶対ない、ということは私には分からないが、都内の公務員宿舎の売却が段取りに入っていて、移転先が完成しないと玉突き現象で売却できなくなってしまい、利権に群がっていた者どもに支障を来たす、とか、想像することはできる。郵政公社の売却物件みたいに、内輪で出鱈目なことをやって、ひと儲けを企む連中なんかはいるだろうね。朝霞の件がそうなのか、とは言ってないが。

朝霞の公務員宿舎に、財務省の利権がそれほどあるものなのだろうか?
仮にそうだとして、そんなものは民主党政権になって、事業仕分けで止められたわけだから、これを動かす必然性というものはあまりないはずなのだ。政治家が止めていれば、動き出すわけがないのだから。財務省利権を守らんが為、などという説明で大臣を説得できたとも思えない。そう簡単な話ではないんじゃないか、ということだ。

個人的にどうも臭いな、と感じた部分を書いておく。

小泉政権下で国家公務員宿舎問題というのがクローズアップされたことがあった。で、国有財産を積極的に処分しましょう、という手筈を整えていったわけである。その為の有識者会議が立ちあげられた。その後のフォローもあった。一方、朝霞市でも、跡地利用に関する検討が行われていた。これらを時系列で簡単に書くと以下のようになっていた。

①2006年1月〜6月:
国家公務員宿舎の移転・跡地利用に関する有識者会議
http://www.mof.go.jp/about_mof/councils/shukusya_iten/proceedings/index.html

②2006年12月:
朝霞市基地跡地利用基本計画」策定委員会の最終報告
http://www.city.asaka.saitama.jp/kichiato/pdf/report01.pdf

③2007年6月:
朝霞市の国家公務員宿舎建設計画(国側の提案)の受け入れ表明(決定)

④2007年12月:
朝霞市基地跡地整備計画」策定委員会の報告
http://www.city.asaka.saitama.jp/kichiato/pdf/kitiatotihokoku.pdf

⑤2008年6月:
国有財産の有効活用に関する検討・フォローアップ有識者会議
http://www.mof.go.jp/about_mof/councils/national_property_followup/report/index.html


このようになっていたわけだが、問題は①と⑤の会議には、朝霞の建設計画はどこにも記されていない、ということなのである。建設計画が必ずしも細かく書かれるとは限らないが、他の廃止物件や統合する新設物件などは概略が書かれていたのだが、何故か朝霞の計画はどこにも書かれていなかった、ということである。これが最初の謎、だ。
もし当時には計画が存在しなかった、というなら分かるが、実際には朝霞市にもっと以前に提案されており、受け入れ表明などは途中だったのだ。②の報告書でも記述が見られていた。公務員宿舎に関しては当該委員会では評価・判断しない、朝霞市の行政が判断すべきことだ、というような趣旨であった。約半年後の翌年6月には受け入れが決められており、06年末の時点で既に計画が存在していたはずであり、財務省側からの提案というものがあった、と考えられるのである。

ところが、①や⑤の文書中には、この朝霞の建設計画が全く書かれていないというのは、どういうことなのであろうか?
これについては、誰しも不思議に思いますよね?

それから、参考までに書いておくと、当時の理財局長さんというのがおられたわけです。2006年10月〜2007年7月が、後に事務次官となり退官後に読売新聞の監査役に収まった丹呉泰健、2008年7月まで後任を務めたのが、今の事務次官である勝栄二郎である。
また、朝霞市の②の会議には、最終報告が出されるまでの間、財務省からオブザーバーを派遣していたようだ。やけに肩入れするよね、とは思う。そうすると、少なくとも最終報告が出される以前から、建設計画が財務省から内示(提案?、半強制?)されていた可能性が示唆されるわけだ。

ここまで財務省が拘る理由というものは、一体何なのか?
これが大変気になるわけである。

当方が想像した理由を、次の記事で示したいと思う。