怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

事故原因の隠蔽を続ける東電〜6

何度も恐縮だが、出鱈目の説明を繰り返し騙してきたのは東電である。

東電は、本当に解体されるべき。
異様なまでの隠蔽体質だからだ(オリンパス事件もよく似ている)。
どうして、このような隠蔽を可能にするかと言えば、東電を守ろうとする官僚、政治家、財界、マスコミ等々がいるからである。

財界というのは、これまでの関係というのもあるし、経団連の中での東電の占めてきたポジションというのもあるし、取引関係とか銀行などのバックもあるだろう。そういう連中が結託して守っているのだ。しかも、東電の株主として大きな利害関係を有する連中も、当然ながら守るわけである。

そうした背景を利用して、東電はいつまで経っても反省もせず、事故原因の解明にも協力せず、うやむやにして済ませようということになっているわけである。

この国では、誰もが責任を逃れ、或いは責任転嫁や無責任に終始しようとするわけである。東電の隠蔽体質がそれに拍車をかけるのだ。

http://mainichi.jp/select/weathernews/archive/news/2011/12/17/20111217ddm012040194000c.html


これまでにも幾度となく疑惑を書いてきたが、東電は説明を回避してきたのである。

10月29日>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/87e660e99bd74ed29357431c4b98f558
11月23日>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/eb8ccb431388676cf2ba18cd2df09ce7


で、今頃になって、少しだけ情報が漏れ伝えられましたよ、と。
http://www.asahi.com/national/update/1217/TKY201112170568.html

収束した、と宣言しておけば大して責められないで済むかもしれないから、というようなことであろう。メルトダウンのこともそうだったが、後出しならば責めは少なく済むから、という算段なのであろう。

当初から、人災の様相だったことは窺えたのに、「津波のせいだ」という誤魔化しに騙されていただけなのだ。

3月22日>福島第一原発〜重大事故の連鎖

拙ブログでは、約10日後時点で「どうもおかしい」と感じていたわけである。当方は原子力発電所とかの仕組みやシステムについて、全くの無知であったので、何がどうおかしいのかが解ってなかったが、素人目で見てもおかしいと感じざるを得なかったということだ。


4月11日>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/332e74bfd708258ad71f59ba0c864e76

http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/8bf26566199f8d07ba01607fda050812

8月18日>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/188e9f2b836e7a07e749655e071edf90



どうしてこんな重大事故につながったかと言えば、ひとえに東電の「異様なまでの隠蔽体質」というものがあったが故と考えるようになった。過去の不祥事なんかも共通しているのだが、反省が全くないまま来てしまった、ということだ。いつもその場しのぎで誤魔化し続けてきたから、ということだ。その総決算が福島第一原発事故だった、ということである。

普通の人たちは、原発の情報とかを調べたり理解するのは困難である。当方もそうだ。専門的なことが多すぎて、言ってる中身や用語が知らないことばかりで、説明なんか聞いて聞かなくても、どちらにせよよく分からない、ということだった。だから、東電はいくらでも言い訳し、言い逃れに徹し、誤魔化し、言いくるめることができてきたのだ、ということである。彼らのウソや出鱈目を指摘できる人とか、専門的知識のある人なんかの意見や声は、一般には全く知らされずに来てしまっていた、ということだ。

東電の異常とも呼べる官僚主義的「失敗回避」術は、極限にまで達してしまった、ということだ。失敗があっても、なかったことにしよう、なかったことにできる、というような体質が、完璧なまでに磨き上げられてきたということである。たとえミスが発覚しようとも、何を言ってるのか分からない用語を並べ立てて記者質問を回避してしまいさえすれば、誰も何も言えないということにできたのだ。その後押しをしたのが、「原子力ムラ」の連中だった。財界も、マスコミも、そうしたムラの一部を構成してきたのだ、ということだ。原子力推進の為には、東電のミスなど取るに足らないものだったのだ。


こうして、今の東電は完成体となった。誰からも責められることがない、責任も問われない、ぬるま湯体制だった。

2010年6月の保安院検査期間中に発生した、2号機のスクラム事故があった。
あの時の対応には、疑問点がいくつもあったのだ。あの教訓を生かしていれば、今回の対応ではもっと違っていたかもしれないのである。昨年6月の事故が示していたのは、スクラム後の対応には問題があるのではないか、ということだった。
所内電源系統がダウンした後、D/G(非常用ディーゼル発電機)起動したのに、高圧注水系を動かさず(起動できなかった?)、隔離時冷却系(RCIC)で冷却した事故だった。今回の地震後の津波来襲直前の状態とほぼ似ていたのだ。つまり、スクラム後の手順というものが、十分徹底されていなかったのではないのか、という疑いが存在したままであった、ということだ。

今回の震災直後でも、D/G起動しているのに給電がうまくできないことがあった可能性もあるかもしれない。1号機では、電源喪失には至っていないのにICが数分後に起動したわけで、「電源が生きている(D/G発電)時のスクラム後手順」というものが取られていたかどうかは、疑問である。

もしもスクラム後の停止手順が正しく実行されていたならば、もっと違った状況は考えられたかもしれない、ということである。

それを阻んだのは、東電の特異体質であったろう、ということだ。


余談だが、事故原因の究明に東電が極めて非協力的であり、聞き取り調査などに対しても情報を正確に話さないといったことがあるのであれば、福島第一の人間にだけ聞いても難しいかもしれない。
やるべきは、福島第二原発の人間から詳しく聴取することだろう。ここでも東電の邪魔が入るというのであれば、東北電力とか(女川はきちんと停止できていた)の人で、専門的知識のある現場の人間から詳細に聴取すべきであろう。

本来的にはどのように止めるか、という手順や操作方法などについて、東電が言わないのなら外部の人間に聞くよりない。操作にはポイント、ポイントというものがきっとあるはずで、例えば「ここでこうやるのは、別なこれこれを引きおこさない為です」とか、「先にこれをやるのは、これこれの理屈だからです」といった説明が存在するはずだから、だ。これは料理だろうと何だろうと、作業には大体共通しているものだ。そういう解説と照らし合わせてみると、東電のとった対応や手順というものがどうであったか、ということが理解しやくなるはずだ。
だから、福島第二原発女川原発の停止手順や操作の時系列について、電源喪失時の教訓を得る目的で保安院が聴取するということは可能であるはずだ。「重大事故に至らず停止できた2例」と福島第一原発の例を比較検討すれば、何がどうであったのかということが理解し易くなるはずでしょう、ということである。