怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

中国はどのようにデフレを防いだか

米国のデフレ危機脱出に関連して、中国はボリューム増+為替ペッグで対処したと昨日の記事で述べたので、これについて書いておきたい。


①09年中国はデフレに陥る寸前だった

09年度のインフレ率は0.67%だったそうです。06年度2.03%、07年度6.63%、08年度2.53%という水準から見れば、かなりの低さであったことが分かります。資源高の影響もあって、08年前半までは世界的に物価上昇が見られていたわけですが、リーマンショック後には急速にデフレ傾向となっていったわけです。これは米国でも似たようなものでした。

そこで中国は所謂「日本化 japanization」を防ぐ為に、果敢な政策を選択していったのです。


②金融政策

・通貨供給増大

http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/870297c21842c1a2ec05be405b247fdb

これは順当な選択であったでしょう。米英でも同様の措置がとられていましたので、珍しいものではありませんでした(日本で同じことをするように求めると、何故かダメだとか無効だとか言われるのが本当に不思議)。

目に見えてサプライの増加率は上昇。ま、妥当ですわな。


・為替固定

これもスヴェンソン提案に準じるので、突飛というわけではない。それに中国は元々かなり固定的な為替ペッグを採用していたので、順当といえば順当であったかもしれない。05年の人民元切り上げ前だと、1ドル=8.2765元だったのですが、その後に年率約4%程度の増価を果たしてきました。

リーマンショック直前くらいですと、おおよそ6.836元でした。
で、09年のデフレ傾向に陥ってから、為替変動を狭めてゆくことになりました。6月〜9月末までには、6.826〜6.839元というかなり狭いレンジでの為替管理となっていました。
その後も、おおむね6.83元を中心とした変動に抑制されていましたが、インフレ率が上昇してきて後戻りがなさそうと判断された時期が10年6月21日ということではないかと思われます。その前までは、6.81元を超える元高が見られてなかったのですが、この日を境に再び人民元の増価トレンドに復帰したものと思います。1ドルが6.795元をつけた日となっていたのです。

(現在は約6.30元まで人民元高となっています。インフレ率が5%超となっているので、引き締めということが必要と判断されていると思います。)


従って、中国が取った金融政策としては、通貨供給量増大と為替固定化ということであったということです。10年度には4.70%のインフレ率となったようです。


③その他

リーマンショック後の景気対策として、60兆円程度の財政出動が行われましたが、これがデフレ防止にどの程度効いたかは不明です。

他には、最低賃金引き上げの奨励というのがありました。また、外資系企業(特に日系企業とか)を中心として、賃金引き上げ闘争のストというのを事実上黙認する、という方向になっていたと思います。すなわち、賃金低下を封じる意味で、デフレ対策としていた可能性が考えられます。

これについても、効果のほどは判りません。


④脱出後の対応

通貨供給量を絞るのは当然。
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-LUHIKG07SXKX01.html

11年の11月、12月は10年ぶりくらいの低さで、13%以下ということだったようです。これも当然といえば当然。波の上下動みたいなもので、増やした反動というか効果をどこかで調節する必要があるから、ということですな。景気の谷を浅くする効果が政策効果なのですから、平板化させたのなら、後に訪れるであろう山を低くしないとならない、ということになりますよね。

為替変動も、上述した通りに10年6月以降には変動幅を大きくしまして、順調に元高が達成されました。これでインフレ抑制効果とするものと思います。



要するに、日本のおバカな政策担当とか日銀の石頭と比べると、はるかに優秀ということが言えるかと思います。

日銀は、こうすればいいのではないか、という「いい所」まで辿りついているにもかかわらず、無責任体質が災いして踏み込めないわけだ。だから、いつまで経っても、改善しない、と。
無責任体質というのは、裏を返せば「責任はオレが取るから、怖れず実行せよ」とならない、ということなのですよ。責任を取れる人間がいないから。つまりは、旧来の官僚主義的「顔なし」体制ということだな。失敗を恐れて、責任を取りたくない連中ばかりが寄り集まってると、実行力が全くないということになる。

中国や米国では、そういうことはなかった、ということだ。失敗を恐れる以上に、回避できなかった場合の損失が大き過ぎるということが分かっているからだ。だから、今打てる手を尽くそうとするのだ。日銀には、それがない、って、これまでにも散々言ってきたんですよ。日本の愚かな経済学者たちとか、そういう連中も同じ。

おまけに、他人の意見に耳を傾けようとしないんだよ。日銀の連中というのは、ヘンに自信過剰なのか、素人に言われてやるのが癪なのか分からんが、失敗なものは失敗なんだよ。それを認めたくない、ということなのかもしれんがね。


例えば試験があるとしよう。
50点以上が合格で、下だと落第点だとする。過去数回の試験で、55点、53点、51点と下がってきたのなら、このままで行くと「多分、次かその次くらいには落第点かもな」と誰しも思うのではありませんか?
タッチラインが50点だとすると、日銀はこれまでのところ、毎回毎回50点未満です。しかも、50点に近付いていきそうだ、と勝手に推測した途端に、「もういいや、勉強やーめた」(勉強というのは、例えば量的緩和解除、利上げなどのこと)と言って怠ける、と。その結果、逆戻り、みたいなもんですわな。

米国や中国はまだタッチラインを割っていなくて、「もうすぐ下限が近付いてる、ヤバい、全力で頑張ろう」ということで、うまく脱出した、ということですわ。セイフティ・マージンを10点くらいと見れば、常時60点以上の範囲に戻っていった、みたいなものです。これが普通なのではありませんか?

なのに、日銀は、万年落第点。一度たりとも、50点を超えたことがない、という恐るべき劣等生なのですわ。あまりに見かねて「もっとこういう勉強を頑張ってみたらどう?」と意見すると、「オレはね、いつも努力しているんだよ、これ以上は出来ないんだ、脳みその構造問題なので解決できないんだ、オレが悪いのではない、教え方が悪いんだ」くらいの感じなんですよ。日銀自身には責任がないと思ってるわけですよ、本当に。

アホでしょ?こんなの。
常識的に考えれば、過去十何年か50点を超えたことがないのなら、これまでの勉強は「全然足りなかったな、もっともっとやらねばならんな」と考えるでしょう?
なのに、日銀は「この教科書で勉強したけど、合格点にならなかった、だからこの教科書は悪い教科書で効果がないんだ、オレは悪くない」って言い訳してるんですよ?
もうね、考えられませんよ、こんなの。一度も落第点になってこなかった米国の真似をして、「米国はこれくらいしかやってない、日本も同じくらいやってるから、これでいいんだ」なんて言い草が出てくると思いますか?(笑)

そういうことを言えるのは、落第点になってこなかった人だけでしょう?そもそも日本は落第点しか取ってないんだから、「同じくらいやっておけばいい」なんて言えるわけがないんだっての!!
もっともっと、他の人たちの何倍もやらないと、追いつけないんだよ、ハゲ!そこまでやったって、どうにか50点に届くかどうか、ってレベルなんだぞ?
その上、他の人たちみたいに、セイフティ・マージンをとって60点以上を目指すとなれば、更なる努力が必要になるに決まってるでしょうが。

ホント、頭がどうかしてるんじゃないか、としか素人のぼくには思えんわけですわ。普通に考えれば普通に分かりそうなことが、どういうわけか高学歴で肩書きも立派な連中には全く分からないようで、そのことが本当に不思議でしょうがないです。

いくら嘆いても仕方がないのですが、日銀はまず落第点から抜け出すよう、死ぬ気で頑張れ。「みんなと一緒」という水準では、抜け出せないんだぞ、ということだ。