怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

かつて日本には侍がいた〜1953年日章丸事件

イラン制裁関連ですが。

http://www.afpbb.com/article/economy/2323730/2441763

中国企業を名指ししてない、と前から言ってきましたが、これもそうではありませんか。米国は、どうして、CNPCばかりかSINOPECも「制裁対象から除外」しているのでしょうか?
何故、制裁企業の名前に入ってないんですか、って聞いてるんですよ。

要するに、米国の制裁基準は出鱈目ということですね?
日本には、少々小突けば簡単に「権益放棄、輸入停止」を受け入れてくれるから、ということなんだろうけどね。どうして日本がダメになったのかが、良く分かるわ。


1953年のBP(の前身)に反抗したイランのモサデク政権が陥った事件があったそうだ。

http://d.hatena.ne.jp/didgerido/20060403/p2

(一部引用)

2年後の1953年3月23日、神戸埠頭から1艘のタンカーが出航しました。日章丸二世号。出光興産が所有する唯一のタンカーでした。行く先はサウジアラビアとしていましたが、実は、イランの石油積出港アバダンに向けての旅立ちだったのです。

日章丸は、寄港先でさまざまな裏工作や裏交渉を行いながら、ついにペルシャ湾の入り口にまでやってきました。ホルムズ海峡はイギリス海軍によって封鎖されています。国有化されたイランの油田は、イギリスの石油会社アングロ・イラニアン石油(ブリティッシュ・ペトロリアルの前身)が所有していたからです。密命を知らされていた船長(?)は、元大日本帝国海軍の猛者。並み居る英国海軍の艦艇を縦横無尽にかいくぐって(←このへんはほとんど講談的な「見てきたような話」です)アバダンに到着した日章丸は、イラン人民から歓喜の声で迎えられます。

無事日本に帰ってきた日章丸。しかし、出光興産を待っていたのは裁判でした。「積荷の石油は当社のものである」とアングロ・イラニアン石油が訴え出ていたからです。裁判で出光佐三社長は、「この問題は国際紛争を起こしておりますが、私としては日本国民の一人として俯仰天地に愧じない行動をもって終始することを、裁判長にお誓いいたします」と述べたといわれています。結局、裁判はアングロ社が提訴を取り下げたため、出光側の勝利に終わりました。

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かつての日本には、侍がいた。
英国海軍は、ホルムズ海峡封鎖を行っていたのだ。

※現代で、イランが同じことを行えば、アメリカから「レッドラインを越えた」と脅されるというのに!軍事的手段も辞さない、とか言われるのに。
英国海軍が海峡を封鎖するのは、石油メジャー側だし安保理常任理事国だし、何をやっても許されるというような状況ということだな。今の米国と同じようなもんだ。

おまけに、イランから輸入した国には、メジャーが石油を売らんぞ、という、今の米国のやってる米国内で取引させないぞ作戦と一緒ではないか(笑)。

そんな中を、日本は輸入したのだ。

「この問題は国際紛争を起こしておりますが、私としては日本国民の一人として俯仰天地に愧じない行動をもって終始することを、裁判長にお誓いいたします」

出光の社長さんがこう述べたのだそうだ。
敬服いたします、本当に。

昔の経営者というのも、本当に肝が据わっているな。ただ単に金を優先じゃないんだ。だからこそ、日本人が尊敬されたんだろう。商売人たるもの、道に外れたことを許しちゃあなんねえ。中世の英国なんかでも、王の横暴に反抗した商人たちがいたではないか。あれと同じようなものなんだよ。よく見ろ、今の経済界のお偉いさんたちは。


根拠もなしにイランの封鎖をすれば、米国やイスラエルの横暴を、世界中が認めるということなんだぞ。嫌がらせや集団イジメの手法を、世界中で正当化するということに加担してしまうんだぞ。

私は、日本人として、愧じる。