怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

エネルギー政策について再考する

以前、電化した方がよいのかもしれない、とか書いたことがあったが、申し訳ない。これはもっと検討すべきだと思う。
07年7月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/7a8fdf20f3bbee3d6f06eb3f96e10c3d
http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/2b9a9427797717d8795c020707b53d05

当時、温暖化問題が色々と言われていたので、自分としてはどちらとも判断がつかなかった。
08年7月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/88ffc34d8884cd8ecc0ff206e313de37

COP15の話とか。
09年12月
http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/89ad24bc17d7579e5f63d51c052c0ab3
http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/01a7551fb54a02e5b26c32222410641d


まず、電力に頼るのは難しい、ということが判った。
が、小規模の自家消費を推進するのは、むしろ全然問題ないのではないかと思えるようになった。大規模災害時などに威力を発揮するのは、寧ろこうしたスタンド・アローン型の発電設備のように思えるからだ。

09年11月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/7a3b72b76e6555204f96f6d65863f732

この記事中にも書いたが、あまりに高度・高額なスマートグリッドが必要とも思えないというのはあった。

で、最近だと、電化住宅以外のものも色々とあるようだ。
http://home.tokyo-gas.co.jp/enefarm_special/merit/energy.html

例えば、寒冷地なんかだと、オール電化は不利となりやすいはず。
発電段階で熱損失があるのを電気に変換しており、その後に家庭までの送電ロスがあり、尚且つ家庭で給湯や暖房の為に熱変換するとなると、確かにエネルギーロスが大きいはずだから。元々温暖地域で、暖房需要が少ないのであれば、暖房需要が少ないので条件は変わるだろう。なので、地域特性をやはり考えるべき、ということになるかな、と。

・家庭(太陽光など発電設備+蓄電システム)                
・公共施設など(学校、役所、病院、図書館等)
・蓄電所

これでブロックを形成する。
基本的には、家庭など各単位で発電した分は自家消費を基本とし、その余剰分は各自で蓄電か、それも余れば蓄電所へ送る(各家庭側で送電量が判れば売電として処理できる)。市役所などの施設では、余った電気を使ってよく、公共施設でそれらを利用すると市税の軽減につなげられる。余裕があるなら、マンションやビルなどにも供給できるかもしれない。価格が電力会社より高い必然性はなく、同じか安くてもいいはずだ。

一方、蓄電所を介して、これまでと同様の電力会社との接続を保つこととする。
・電力会社(基幹電源)――中継所――蓄電所
この中継所には、自由化された発電業者が接続できることとすれば、利用者側で選べるようになる。電力が余っている時には、スポット価格として変動してもよいはずだ。

また、基幹電源たる電力会社は高圧で使う産業用や業務用などを供給できるはずで、この部分に関しては一般家庭でいくら発電設備を持ったとしても供給できないから、過当競争とはなり難いはずであろう。大量供給が必要な部分は、工場なり大型オフィスビルなりとで、直接価格契約を行えばいいだけである。

電力会社は蓄電所より下流の施設や家庭にも供給することがあるので、中継所に接続する全ての電力会社の供給力を一定以上に規制しておく必要がある(もしも発電設備の不具合などで供給不足が起こると困るから、そのバックアップが必要)。


それから、電力会社の値上げという話であるが、これは止むを得ないのではないか。ただ、値上げを認めるからには、自由化を促進してもらう必要がある。これまでの電力会社の価格が高くなるということは、競合にも参入余地が広がる、ということになる。勝負になり易くなる、ということだ。
ピーク管理がより効率的に行えるようになると、例えば揚水発電の必然性はかなり減らせるようになるかもしれないし。発電量の3分の1くらいが失われる上に、送電ロスがあるから、エネルギー損失がもっと多くなるというのに、これを使ってきたのだ。これと蓄電所のロスの比較とか、そういうので利用効率を検討すべきではないか、ということである。


参考までに、関電の月平均の揚水発電量を見たのだが、原発稼働の多かった10年度と需給が厳しいと言われた大震災後の11年度を比較すると、10年度の方が1.28倍も多かった。2010年度の方が気温が高かったから、ということがないわけではないが、供給力の余裕からすると揚水発電を利用する必然性というのは、供給力不足を言われていた2011年度に比べると乏しかったと思われる。けれども、揚水発電が多かったということは、原子力発電の能力の過剰によって「余った電力」を使い切る必要があったから、ということだろう。火力を若干減らすものの、原子力は動きっぱなしだから、夜間に揚水発電で「蓄電」することになる、ということだ。それが証拠に、22年度の方が、夏季以外で揚水発電が多い。
一方で、ガスタービン発電は、01年水準からすると10年には約110分の1にまで減少していた。利用を止めた施設がこれなのかもしれないが、定かではない。


まとまりのない書き方で申し訳ないが、エネルギー政策については、まだまだ検討すべきことが多くあるはずだし、地域特性を考えるのは当然ではないか、ということである。