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【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

”連合”という名の貴族

政権交代直後の悪い予想は、若干異なる部分はあったものの、近い部分もあった。今後、本格的に経済崩壊を目指してゆくことになるかもしれない。


http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012062800425

(以下に引用)

連合の古賀伸明会長は28日、自民党本部で開かれた同党の国土強靭(きょうじん)化総合調査会で講演した。古賀氏は、民主党を支持してきた連合の立場について「政党そのものが流動化することもあり得る。そういうことからすれば、われわれは今は民主党の応援団だが、どういうスタンスを取っていくかを議論しなければならない時期が来る」と述べ、将来、政界再編が起きた場合は見直しもあり得るとの考えを示した。 
 衛藤晟一参院議員が「連合が掲げる『非自民』の壁を取り払ってもらいたい」と求めたのに対して答えた。連合トップが自民党本部で講演するのは異例だ。(2012/06/28-12:20)

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今や、古賀会長といえば、経団連会長と並び称されるほどに、権力者の座に就いているということなのだ。言うなれば労組の「天皇気取り」というところだろう。

かつてならば、経済財政諮問会議なんかに連合会長なんぞメンバーに選ばれるわけがなかった。しかし、政権交代後には国家戦略会議の議員なんかに選ばれたりして、”菅攻め”にも参加していたわけだ。
労働組合なんていうのは、ただの形式に過ぎず、大企業など特定層の代弁者と化してしまった。それ故、「消費税増税は大賛成」と掲げ、全国の組織に締め付けをしたわけである。まさしく組織、これこそが大事なんだ、と。組織の中に埋め込まれている人々にも、それぞれの事情や立場というものがあり、それを守らんが為に組織という名のものにいとも簡単に従ってしまう、ということだ。


終戦前の、軍部の言う通りにして、自ら進んで協力をしていた人々とまるで同じようなものなのだ。個々人では、止めようがない、ということなのだ。組織に従おうということが、更なる過ちを招くのだ。民主党内の増税賛成が組織内の決定だ、となった後の動きも、よく似ている。こうして、多数派が形成される。陸軍のバカと、今の官僚たちのバカは、構造的に似ている。


労組の話に戻そう。
09年の予想>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/3988b7b90b6475e8f327b101064b4a42


当時の悪い予感は、今でも十分通用する。長妻議員や山井議員の「転向」を見れば、それは明白だ。彼らは、攻撃する時には約束を果たしてないと言っていたのに、自分が逆の立場になった途端に、約束を守らないばかりか全く違うことをやってしまうのだ。

記事から再掲しておく。

長妻議員や山井議員などが一番非難していた、公約と違うじゃないか、の論理は一体全体どうなってしまったのか?彼らは二枚舌の使い手なのだろうか。他のdpj 議員なんかも同じようなものなのだが、野党時代に散々批判してきたことを、何故彼らが政権担当となった途端にやるのだろうか。こういう時には、少なくとも反省があってしかるべきなのではないのか。物事に対して誠実であろうとする態度とは思われない。

こうした矛盾は、何も長妻大臣だけの話ではない。dpj の約束なんていうものは、あまり当てにはならないものが多いのだ。
実際、未だにこれといった公約実現の約束みたいなものは出されていないのではないかと思うが。いつになったら、何が達成されるのか?


約束はご破算。
なのに、やれと言ってないことを、自分勝手にやり出す。消費税増税だけは達成、と。選挙公約でも政権公約でも何でもなかったものを、いきなり掌返しで増税に命懸けという愚か者どもが湧き出てくる、と。


沈まぬ太陽』の映画を思い出した。
主人公恩地の右腕と思われた労組幹部の行天(最後は社長)が、経営側に寝返って、体制側にまんまと組み込まれてゆく、という図だな。連合とは、まさに行天が象徴するような存在なのだ。権力欲に取りつかれた組合の幹部たちは、現場の労働者たちの味方なのでもなく彼らの声を反映するものでもない、ただの経営側の犬と化すのだ。


あれと何も違いがない。
連合が果たす役割とは、企業原理主義者の一翼を担うこと、である。企業原理主義者というものについては、いずれ改めて書いてみることにする。