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天才・羽生善治のチェス棋力

恐るべき実力。
やはり、天才の天才たる所以か。


http://takahirosuzuki.com/2013/1230171913


何とグランドマスターに勝利、とな。
将棋で言うなら、タイトルホルダーに勝つ、みたいなものでしょうか。それも、「永世竜王に勝つ」みたいなレベル、ということかな、と。


以前から、羽生さんのチェスが強いというのは有名ではあったものの、世界最高水準にまで到達となれば、これはもうチェスを専門にやっているプロからすると「こいつ何者!?」ということになるわな。


喩えが思い浮かばないけど、剣道の全日本チャンピオンがフェンシングをやったら世界大会で優勝するくらいの実力を持っている、みたいなものか。凄すぎる!



それにしても、敢えてチェスを、というのが凡人には理解し難いわけであるが、チェスと将棋の違いを「ゲームの理解」として捉えているのも、驚く。そういう思考方法と感性が、やはり天才なのであろう。言語で説明が難しい部分でもあるし、どちらか一方だけをマスターしていても感じ取れるものでもないから。


将棋の「詰み」と、チェスの「ポジション」という違いは、多分「獲った駒を任意の場所に置ける」
(2歩や打ち歩詰めの禁手はあるが)という決定的違いによる感覚の相違、なのではないだろうか。


将棋の場合、追加兵力(獲った駒)が好きな時に任意で投入できるのに対して、チェスはできない。現実の戦闘場面であっても、追加兵力を落下傘部隊のように好きなように投入することができないので、チェスの方が現実に即していると言えるかもしれない。


チェスは、言ってみれば「合戦の様子を山の頂上から俯瞰して、作戦指示を出す人」のようなものなのかな、と。そうであれば、隊列や陣形の維持なり、戦線の維持といったことが重要となるのは当然であり、まさしく西洋風の合戦劇を見るかのようだ。「ポジション」とは、そうしたものではないだろうか。


将棋は、忍者部隊だろうと、奇襲攻撃だろうと、待ち伏せだろうと、山岳追撃戦だろうと、兎に角「敵の大将首を獲れ」(討ち取った者勝ち)という特性を表現しているものであり、「詰ませるスピード」の感覚が分かるゲームなのかも。
昔の元の将棋(インド?や中国?で伝わったもの)はどうなのか知らないが、日本独特のゲームとして洗練されたものとなっているように思う。戦闘の表現としては、「日本という地理・風土・実情」に合っている、ということかもしれない。



ま、将棋とチェスの違いは、当方のような凡人には理解しかねるので、分かりません。羽生さんクラスになって初めて「見える世界」というものがあるだろうから、だ。一流の人は、やっぱり不思議だ。