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【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

購買力平価GDPの順位を気にする人々

先日あった記事で、寂れ老人枯れススキ国家(笑)であるところの日本は、インドにも抜かれてGDP順位が4位に転落した、という、悲しそうなものがあった。

http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920010&sid=a5qXumEA22vU

だから?
これが何だと言うのだろうか(笑)。


ある方々は煽動情報に乗せられ易い、という典型例なのかもしれない。それとも、情報操作に重要な意味があると考えているのかもしれない。

まあよい。
購買力平価GDP順位なんてものは、ただの幻想だ。米国(基軸通貨ドル)基準で何でも考えて、評価も揃えてくれや、という、悪く言えば「オレ様基準」の評価方法の一つでしかない。

購買力平価で見た場合、例えば日本と中国の生活感がわかるよ、というものであって、2国間の経済力比較とかに意味があるわけじゃない。ましてや、順位なんかには大した意味などないのだ。

また、例で考えてみようか?
あなたが床屋に散髪に行き、待っている間タバコを一服し、帰り道にパン屋でパンを一斤買い、家で食べて、葡萄酒を飲んだとしよう。この生活行動をするには、
・床屋代
・タバコ代
・パン代
・葡萄酒代
というのがかかっているわけである。これが、日本だと平均的にいくらかかり、中国だと何元で出来るのか、ということだ。

仮に、日本だと3000円、中国だと円換算で1000円だったとしよう。そうすると、同じ給料(収入)を得たとしても、日本で1万ドル貰うのと、中国で同額もらうのでは、「物価水準が違うので、購買力が違いますね、物価が低い方が相対的に裕福な生活ができますね」ということだ。そして、もしも日本と中国が全く同一の価格体系で完璧な「一物一価」が成立しているなら、円と元の為替レートが決まりますね、ということになるのである。それは、日本で買うタバコも、中国で買うのも全く同一、ということの基づいている、ということだ。現実には、そんなのはタダのクソ理論に過ぎない、ということなのだが。


これに類似するのが、有名なビッグマック指数とか、ipod指数とか、そういう代表例がある。商品に違いがない、ということで、比較可能だからだ。実際には、価格構成の要素として、例えば人件費、店のテナント代、運送費、等々、製品製造コストそのもの以外の影響を与える部分が存在するはずだから、必ずしも同一価格とはならない。

日本でBMWの5シリーズを買うとバカ高いのは有名だ。ベンツもそう。
アメリカで528を購入すると、46000ドル〜58800ドルくらいだ。グレードで若干は変わるけれども、こんなもんだ。ドル円が100円当時であったとしても、600万円には行かない。が、日本で買うといくらだと思うか?
何と、680〜715万円くらいするのだ。税別だよ。
5万ドル前後の車が、日本だと何故かドル円が100円の為替で7万ドルくらい、ということになるのである。こんなに関税が高いのか?多分、そうじゃない。日米での関税額なんて、そう大きな違いなどないはずだ。
しかも、ドル円が80円を切っても、値段が下げられることはないのである。仮に日本は特殊で米国では5万ドルの車を、ぼったくられて7万ドルで買わされるとしても、7万ドルはドル円が80円ならば560万円に下がるじゃないか、と思いますよね?
現実にはそうじゃない。
例えば、販売店の人の給料が円ベースで下がるわけじゃないからね。あくまで価格を構成する要素の変動がどうなのか、ということが影響するのだ。購買力平価通りに価格変化が起こるかというと、そうじゃないのだ。机上の空論に過ぎない。
ユーロ円が過去最低水準にまで下落しようとも、日本での販売価格がそれに比例して下がるわけではない、ということである。「一物一価」なんてものは、現実世界では基本的に存在しない。
言えることは、「自動車を持てる」という生活水準がどの程度なのか、ということの比較だけだ。先に述べた「生活感」ということの意味はこれだ。同一製品の自動車価格が正確に同一ということではない。


もう一つ、購買力平価GDPというものの意味を考えるのに、いい例がある。
それは、生活水準(生活感)として、1万ドルを持っていると、甲国ではこんな感じ、乙国ではこうなる、ということだとしても、甲国の人が乙国で買い物をする時には、絶対的な水準しか意味を持たない、ということだ。
平均的な甲国の人の収入というものを、仮に甲国における一人当たり購買力平価GDP(以下、GDP・PPPと略)で代表することにする。乙国でも同様。ざっと、数字を設定してみよう。

            甲   乙
名目GDP        100万  30万
一人当たり名目GDP   16000  5000
一人当たりGDP・PPP    10000  15000
             (単位 ドル)

こうなっているとして、乙の方が裕福なのか、というのが問題。甲と乙の人が一緒にパリに旅行した時、それぞれが貰っている給料の1カ月分を持って行って買い物をするとしますか。そうすると、乙の方が圧倒的に貧乏。可哀想。甲はいっぱい買い物とかできるけど、乙は5000ドルしか持ってないことに変わりはないから。海外との取引なんかでは、カネの絶対水準しか意味がない。乙国内の物価水準を適用されないからだ。
たとえ乙国内で裕福と呼ばれる人であっても、海外企業を買収したりする時には、乙の物価水準に関係なく、対象国とのレートで決まってしまうだけなので、購買力平価ではいくら、とか主張してみたところで、実物のカネが届かなければ買えないだけだ。
アメリカの有名大学に留学した息子に仕送りする時なんかも、GDP・PPPなんてクソだな、ということが実感できていいのではないか。


プロパガンダに引っ掛かる人間というのは、いつも存在する。
だからこそ、流す方としては、「意味がある」と考えるんだろうけどさ。
日本が抜かれたから、何?
だからどうだって言うの?
ま、いいわ。
インドが悪いわけじゃないし、人口ボーナスも大きいから、GDPが日本以上になるとしても、不思議でもなんでもない。中国やインドに抜かれる先進国はたくさんある。


5人に1人の、殆ど働いていない、むしろ社会保障費などで現役世代から金を持ってゆく高齢者世代を支えながら、それでも日本経済は曲りなりにも成立しているのだ、ということの方が、重要なんだよ。若年世代の多い国で、失業率が10%とか20%とかあったりするけど、総人口と就業人口の比率なんかで見れば、日本だって高失業率国と大差なかったりするかもよ?

そう考えると、日本にだって、まだまだ伸びる余地はあるよ。