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事故原因の隠蔽を続ける東電〜3

これまでの続きです。

シリーズ参考記事
事故原因の隠蔽を続ける東電

事故原因の隠蔽を続ける東電〜2

事故原因の隠蔽を続ける東電〜2の補足


福島原発の事故調査に関連して、例の「黒塗り」で誤魔化してきた東電だったが、かなりの批判に晒されて、24日の資料公表が伝えられた。

http://www.meti.go.jp/press/2011/10/20111024003/20111024003.html


量が膨大なので、読むのが大変だ。それに、原発関連の用語など、一般素人にとっては、かなり苦痛の内容となっている。

が、どうも気になっていたことを確かめたいと思って、ちょっと読んでみましたよ。すると、やはりな、という部分がありました。


はっきり言っておく。
東電はウソをついている。或いは、知られたくない部分は、未だに”ワザと”隠している。

恐らく、事故後公表された、記録データについても隠蔽している可能性が高いであろう。「電源喪失でデータが記録されていなかった」と言えば、追及のしようがない、ということを、向こうは判ってやっているのさ。
だって、中央制御室とかに出向いていって、調査できる人間なんかいないもの。そこからデータを取ってこい、とか、部外者には誰にもできないもの。だから、隠すことが可能なのだ。

また、東電側には、どうせよく知らない素人が読んでも判るはずがない、だから、難しい用語をいっぱい使って複雑に書いておけば、判らないだろう、というような姿勢が垣間見える。専門家のようなちょっと知識のある人間が、何も知らない素人を騙そうとしたり、煙に巻こうとしたりしようとする時の、卑怯な戦術である。一言で言えば、判りやすく伝えたりする気は微塵もない、ということだ。

ま、化けの皮を剥いでやるまで、諦めませんよ。


いくつかの疑問点を書いてゆくことにする。


①事故時運転操作手順書(以下、事故マニュアルと略す)の「シビアアクシデント」版で、隠しているページがある:

ざっと読んだのですが、意図的に隠していますね?
重要な部分が欠落している。元から存在してない、ということでもないなら、隠している。
それは、『復水補給水系(MUW)』の部分である。
推測するに、非常用復水器(IC)の操作部分なのではないですか?

これを隠す意味とは何か?
読まれると、都合の悪い部分があるということでは?
そもそも、隠そうとする小技を用いていること自体が、「真っクロ」をほぼ確信させるのだよ(笑)。刑事じゃないですが、ああ、クロだな、ということです。


②2010年2月改定部分の中身は?

事故マニュアルの改定履歴には、以下の記述があった。

『1.大規模地震発生時の対応手順の新規作成(保安運営委員会234回、246回審議済み)

(1)自然災害編の新規作成(大規模地震等により、長期間の外部電源喪失並びに軽油タンクへの補給不可となった場合のD/G負荷の絞込み手順を含む)

(2)津波発生の手順をタービン編より自然災害編に移行』

これを見る限り、何の対策も講じていなかったわけでもなさそうで、むしろ、備えを準備していたことが伺われる。しかも、津波被害想定、長期間の交流電源喪失及び非常用ディーゼル発電機(D/G)の使用不可時への対応も考えられていたことが窺われる。

すなわち、事故当初からの「想定外」というのは、ウソをついてきた、ということになるが?


③不活性ガス系(耐圧強化ベント)開始の圧力要件は?

11日深夜〜12日にかけて、1号機圧力が上昇している、と会見で説明していたが、当時格納容器の設計限界は「約400kPa」といった説明がなされていたはずだ(上記参考記事のシリーズにも書いた)。ところが、公開されたマニュアルでは、格納容器圧力が「853KPa」(を超えると想定される)時、ということになっていた。

設計上限圧力が427kPaであるのに、その2倍になるまでベントしない、と?
普通、弁当箱の使用温度が100℃まで、という製品で、200℃になるまで冷却せず我慢して使用せよ、みたいなマニュアルにするでしょうか?

圧力容器に漏れがなく、放射能漏れも発生していなかったのであれば、S/CベントもしくはD/Wベントの実施がそれほど困難であったものとは、考えにくいと思うが。圧力が600kPaを超えているのに、それでもベントせずに置いたことの意味がわからない。
現地で高濃度放射線量が計測されていたのであれば、当時その事実を隠蔽していた、ということになるが。


④電源(D/Gとバッテリー)に関して

津波で発電機が使用できなくなるまで、電源はD/Gで給電されていた、ということですね?
だとすると、計器類電力も弁やポンプ類操作用電力も、全てその直前まで生きていたはずだ。
15時3分頃のICを手動停止した時点での、原子炉圧力、温度などのデータも全てあったはずである。それが示せないのはおかしい。

東電の説明によると、HPCI(高圧注水系)を起動しようとしたが、制御盤ランプが消えていた、ということだが、津波前には無関係である。

また、バッテリーの「直流電源盤が水没した」ということらしいが、この電源盤とバッテリーというのはどこにあるのですか?原子炉建屋内部にそれほど多くの海水が浸水したものとは思えないんですがね。

本当に電源が全て失われてしまうと、照明なども全てダウンするだろうから、中央制御室とかでおよそ15時半くらいから21時半くらいまでの間は、一体何をしていたのでしょうか?計器類が読めるものと、読めないものがある場合、それは「電源の有無」で分かれるのだと思いますが、直流電源がダウンしてるならポンプ類や弁操作なんかトライしてみるものなんでしょうか?

誰が、どこで、何をしていたか、という、個人単位の時系列表でも作らないと、解明できないんじゃないですかね?