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【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

東電の過失隠蔽を暴くべし

最近、「NISA」という語がニュースなどでも度々お目にかかるわけだが、元はといえば「原子力安全・保安院」のことをNISAと呼んでいたのだ。今は消滅して改組されてしまったが。

NISAに責任がなかった、とは言わない。だが、最も責めを負うべきは東電であるはずだ。彼らは、官僚たちと結託して、誤魔化し続けてきたのだ。情報を隠蔽し、事実を隠し続けてきた。人が死んだのは、偶然なんかじゃないのだよ。
それとも、福島第一原発の副所長(だったか?)が逮捕されたりしたのが、ただの偶然だったとでも言うか?
本当に口封じではなかったのか?


今も東電は隠し続けているのだよ。それを裁判で明らかにして行って欲しい。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140115-00000021-fminpo-l07

東京電力福島第一原発事故の被災者でつくる福島原発訴訟原告団が国と東電に慰謝料などを求めた訴訟の第4回口頭弁論は14日、福島地裁(潮見直之裁判長)であった。潮見裁判長は、「東電が津波対策を怠ったことで原発事故を招いた」とする原告側の主張に沿って、同社に過失責任があったかどうかを審理対象とする考えを示した。 
 潮見裁判長は「賠償額算定のために東電の過失の種類・程度の審理が必要」とした上で、「(過失が)重要な争点となる」との見解を示した。東電は原発事故での過失や程度を問わない原子力損害賠償法に基づき審理を進めるように主張していた。原告側弁護団によると、全国13の地裁・地裁支部に東電と国を相手取って提訴された訴訟で、東電の過失を審理対象とするのは初めてという。
 

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裁判で戦う人たちにお願いしたいのは、まず東電が公開しているという本店とのやり取りのビデオを全部チェックすることです。特に、事故発生から1週間程度の期間について、くまなく調べて欲しいのです。そこには、いくつかのヒントが隠されている可能性があります。これは、閲覧室のような、許可を受けた人が視聴可能とされているので、現地に足を運んで時間がかかっても視聴できる人たちが大勢いないとかなり難しいのです。ビデオの時間が長いということは、視聴する時間も同じだけかかってしまうので。


拙ブログにおいては、当初から疑問を抱いてきた。初期対応に問題がなかったのかどうか、ということだ。


http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/2bc011f2709cf522c99129ef43d44c20

ここにも書いたが、経済産業省・エネ庁・NISA(原子力安全・保安院)は結託して情報隠蔽を行ったのだ。公開文書も差し替えられた。東電と経産省を守らんが為、だ。


これから行政機関が秘密指定ということを自由にできるとなれば、当時の情報は隠されたままになるだろう。防衛省が「我が国の対テロ防衛に関する秘密に該当する」と言って秘密にすることを要求すれば、原子力関連情報を隠蔽できるんだろうよ。そんなことは、朝飯前だし、ハナっから分かり切っていたことだった。ヤツラの手が伸びる前に、裁判所命令で証拠提出を求めるよりないのだ。


津波のせいだ、ということが争点ということらしいが、攻め所は他にもある。
津波の可能性、それに続発する問題点というのが予見可能であったかどうか、というのは、立証するのが容易とも言えないので。国会質問で事前に津波被害が取り上げられていたのは事実だが、規制庁側である経産省なりNISAが出す安全基準をクリアしているなら、それが過失と言えるかどうかは定かではない。行政庁側が東電に対して改善なり対策を求めたにも関わらず、東電がそれに応じなかったり実施を怠っていたことを立証できれば、過失認定の余地はあるかもしれない。


もっと決定的な攻める点は、「全電源喪失に対する対策」である。
どうしてか?
これは、過去に同様事例がいくつも報告されているから、である。しかも、東電自身が2010年6月に、2号機において、やはり同じく電源喪失事故を経験し、しかもD/G(ディーゼル発電機)による給電ができない、という、まさしく電源喪失状態を経験していたから、である。どこからも給電されない、ということから、隔離時冷却系であるRCICで冷却したので事なきを得たのだが、この事故が与えた教訓は大きかった。


電線や回路系は全部生きており(津波による水没でショートして使えない、というのとは違う)、D/Gも動くし燃料タンクもあった(=津波で流されたわけでない)上に、バッテリーも使えたはずなのに、全電源喪失事故とほぼ同じだった、ということだ。しかも、その原因が「作業員の与えた振動」だったんだぞ?


地震と比べ物にはならない程度の振動で、電源喪失状態を招いた、ということ。それで実行できた冷却方法は、HPCIなんかじゃなくて、蒸気駆動系のRCICだったんだよ。その後、スクラム停止後の復旧作業というのが、どの程度の時間かかったのかは不明であるが、短時間で給電可能となっていたかどうかは、調べてみなけりゃ分からない。裁判では、まずこの震災前年6月の事故と対応についての資料を全て出させること。ここにヒントが隠されているはずである。


参考:
http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/99f6d31d72a1c0bcbbccb1d4a3ee1523
http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/a7606b0a18b4209e468cf264e79d9b19



東電は電源喪失事故が発生する可能性がある、ということは認識できていた。勿論、給電可能となるまでの時間がどのくらい必要か、ということも考えることができたはずである。

他にも、東電が予見可能であったことを示す証拠はあった。
シリーズで書いてきていた記事である。

http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/87e660e99bd74ed29357431c4b98f558



で、決定的な部分がこれだ。

http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/3333a59acce372c9b8d46506a0bb0b63

(再掲)

②2010年2月改定部分の中身は?

事故マニュアルの改定履歴には、以下の記述があった。

1.大規模地震発生時の対応手順の新規作成(保安運営委員会234回、246回審議済み)

(1)自然災害編の新規作成(大規模地震等により、長期間の外部電源喪失並びに軽油タンクへの補給不可となった場合のD/G負荷の絞込み手順を含む)

(2)津波発生の手順をタービン編より自然災害編に移行

これを見る限り、何の対策も講じていなかったわけでもなさそうで、むしろ、備えを準備していたことが伺われる。しかも、津波被害想定、長期間の交流電源喪失及び非常用ディーゼル発電機(D/G)の使用不可時への対応も考えられていたことが窺われる。

すなわち、事故当初からの「想定外」というのは、ウソをついてきた、ということになるが?

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電源喪失事故というものを、「全くの想定不可能であったか」と問われれば、そうではないとしか言えない。


津波が起こった際の想定も行っていたはずだ、ということ。2010年2月にはやってる。長期間の交流電源喪失対策も、D/G燃料補給不可の場合の対策も、考えられていたはずである、ということだ。


そして、最も重要なことは、この文書は東電のものであって、行政機関のものではない、ということである。つまり、秘密指定できないし、裁判所の提出命令には逆らえない。当時の「保安運営委員会」メンバーの証言も拒否できない。東電職員に過ぎないわけだからな。


事後で車からバッテリーを外して対応した、みたいな話があったわけだが、あれも最初からヘリで12Vか24Vバッテリーを大量に運びこんでくれ、と要請しておけば、自動車ショップだろうとホームセンターだろうと、かき集めてくればよかっただろうに。本店のヤツらは、何をやっていたんだ、という話なんじゃないのか?お前らみたいなマヌケどもに、危機管理なんてできないんだよ、要するに。電源車は重すぎて空輸できない、だの、ケーブルも用意できない、なんてのは、単なる後付けの言い訳に過ぎない。考え方、姿勢、そういうもの全てが間違っていたんだろうよ。危機感なし、責任感なし、ということだ。そして、それは今も「全く変わっていない」んだよ、東電は。


津波が到達するまでの間、何をやっていたのか、というのが最初の問題。
自動起動したICを手動で停止したのがまず間違いだし、HPCIを起動しなかったのも問題、SRVが動作しなかったことも疑問だ。初期対応として、過失があったとしか思えない。また、電源喪失後の唯一の冷却手段となるのはICしかないのだから、弁口の状況や開弁操作可能かどうか、といったことを、何よりも先に確認するしかないわけで、ICの残水量を真っ先に心配しないのもおかしい。津波が来なかったとして、一体全体何で「冷却」しようとしたのか?
冷やす手段が一切動かされていないのに、何で冷却するつもりだったと?
15条通報までの2時間、何をやっていたのか?


もしも圧力容器にリークがあったなら、地震直後から圧急減が起こったとしても不思議ではない。
1号機(や3号機)の津波前までに起こった「格納容器ないし圧力抑制室の圧力上昇」現象には、科学的で理解可能な説明が未だ一切なされていない。圧力容器に損壊があって蒸気が漏れたのなら、建屋内の放射線量上昇や格納容器内圧力上昇の説明はつきやすいな。1号機のベントを急げとか、夜中ずっと騒いでいたのは、そもそもが格納容器圧力が「設計限界を超えている、2倍にも達している」ということだったわけだろう?


2号機、3号機が何とか冷却機能が持続していたが、1号機は一切なくなっていたので真っ先にメルトダウン〜水素爆発を招いてしまったわけで、あれがもう少し持ちこたえていたなら、とは思う。放射線量が高くなることで、作業が一層困難になって行ったから。


それから、海水やホウ酸水注入ということの判断についてだが、決定までの時間浪費なんかはなかったのか?
ここでも、それを回避したという事実があったなら、過失の可能性はあるだろう。原子炉の廃炉を恐れて、決定に遅れを生じたのなら、最善手段を取らなかった、というわけだから。ケチな根性で、全てを失ったんじゃないのか、ということだわな。


吉田所長が死んだ今となっては、東電にとって最も恐れていた人がいない、ということだから。死人に口なし、で、吉田所長が証言台に立つという恐れがなくなったからな。吉田所長は、事故当時の全てを知っていた人であったはずだから。その人がいなければ、どうせ誰にも「分かりやしない」と。そうであるが故に、東電は「オレらに責任はねーからな」と強気で突っぱねられるのだよ。


許し難し、東電。