怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

民主党の隠蔽体質は最初から

議事録が残ってなかった、とか今更になって言ってるけれども、そんなもんは当初から無視を決め込んできたのだろ、dpjは。

鳩山政権発足当初から、忠告しておいたはずだ。

09年9月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/01b4d99ec82c3620f7b6ac443bd4e67d
(再掲)
『今後、dpj が閣僚委員会をいくつも立ち上げていったりすることはそれでも構わないが、全ての閣僚委員会について議事録を残し、できれば動画を毎回録画して公開してもらうと有り難い。これこそが、国民の政治参加を大きく促すものだからだ。今は、ネット上での動画は大きな意味を持つ。全部見る時間のない人向けに、発言を文字に変えてくれる人や要約を載せてくれる人などがいるのだから。』

09年10月
http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/72387e8867b4f1805a9321512a23d6b4
(再掲)
『総理を含む重要閣僚からなる、「最高意思決定組織」は何か、というのが、全然明確になっていないもの。経済財政諮問会議がかつて「最上位」とされていったように、そういう機関をまず明確にするべき。とりあえずこれを「最高組織X」と呼ぶことにする。ここには総理、その他連立を担う閣僚を入れたいということなら、そうすればいい。人数は多くて10人以内くらいか。これまでのところ、政府の重要会議の議事録が明らかになっているものというのは、一体何があるのか知らないが、そういう情報公開も全く進んでいないよね。』

野田政権になっても、朝霞公務員宿舎建設に関して、有識者会議の議事録や再開の根拠となった「検討結果」というものがない、と指摘した。

http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/ac4eaa082a1c4f6039c146473acd9835


要するに、決定過程がどれもこれも不透明かつ情報公開を拒み、なし崩し的に決めてしまっているだけ。そういう運営体質が出来上がっているわけだよ。官僚たちはそれに付け込んで、というか合わせて、何も記録を残さず情報公開も拒否するだけ。杜撰な管理体制、仕事の手抜き体制、そういうのにまるでチェックがかからないと誰一人改めようともせず、これ幸いと便乗してサボるだけ。
昔みたいに、上の人間がいちいち指示をせずとも、黙って正確無比にやる、というような美徳も失われているわけだよ。総理以下、閣僚も国会議員も、霞が関幹部たちも含めて、緊張感がなさ過ぎる。早い話が、どいつもこいつもタルんでいる、ってことだ。
政府全体に蔓延する、極度の”弛緩”である。


例えば、よく取り上げられる「河野談話」というのがある。右派からは非難されることも多いわけであるが、内容や賛否云々はおいといて、官房長官談話がこれほど重視されてきたことの意味をよく考えるべきだ。
以前であれば、政府見解は総理や閣僚が替わっても矛盾がない、というのが重要視されていたように思う。統一性が維持されてきたことが大事だったのだ。故に、過去の答弁や閣議決定などとの矛盾はないかどうか、というのが慎重に調べられてきたはずなのである。

ところが、dpjが政権に就いてからというもの、国会答弁にも緊張感なく、閣僚の発言は個人の自分勝手な物言いで、つまるところ幼稚で滅茶苦茶ということだ。昔なら、閣内不一致だ、と火がついたように責められていたはずだ。閣内不一致どころか、何代も前の政権から引き継いだ見解であっても、これを覆すことはほぼ困難ということさえ普通だった(これが悪弊となってきた面もあったことは否めない)。

今では、同一人物であってでさえ、昨日言ってたことが、今日は違う、とか、当たり前のようになってしまった。何年も前に言ったことと矛盾している、なんてレベルではないのだ。政権を獲る前、選挙の前後、そういうのでコロコロと簡単に変わるわけだ。カメレオンか、っての。一言一句違えず答弁しなければならない、というような責任感が欠如しており、己への厳しさというのも皆無である。

かつてであれば、自分が発言したことではない、何年か何十年も前の発言や国会答弁を引き継いで、統一見解を形成してきたわけでしょう?
今のdpjが自民党政権の見解を引き継ぐいわれはない、ということなのかもしれないが、そうであるならdpjとしての矛盾をなくす義務があるだろう。整合性のある統一見解を提示すべきである。まあ、そんなレベルではないだろうけど。閣内の統一見解どころか、一人の個人の見解であってでさえ、時間が経てばそれだけで簡単に変わるわけだから、どうしようもないわな。

本気で民主党政権になって以降の「○○談話」というのを重視するということになってしまうと、本当に大変なことになるわな(笑)。それに反する矛盾やウソが、そこかしこに登場してくることになってしまうから。なので、総理か重要閣僚が語った内容を誰も信じなくなった。街頭インタビューで見知らぬ誰かが適当に語ってるのと、殆ど同じ。発言の重みも失われた。今日言ったことと明日は違うだろうな、という程度のものだと国民は達観したのかもしれない。お天気お姉さんが話す、毎日の予報みたいなものと変わらない。ただ言葉が流れてゆくだけ。少し前の予報内容を詳しく覚えている人が殆どいないのと同じ。記憶からも、記録からも消えてなくなるだけ。

dpjのやってきた政権運営は、そういうものであった、ということだ。
裏返すと、議事録がないというのは、軽々しく何でも発言し安易に結論を出してきたことの証左であるということだ。流れて消える言葉に、記録は必要ないからだ。つまり、己の発言に「誰一人として責任を持たない」ということを実証しただけなのである。
愚かにも、民主党の閣僚クラスも党幹部たちも、未だに気付かないノダ。
小学生の学級会でもやってるつもりなのかもしれない。