怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

続・『TPP反対派がダメな件』がダメな件

前の記事はコレ>http://d.hatena.ne.jp/trapds/20120304/1330847484


まさか取り上げてもらえるとは思っていませんでしたので、大変うれしく思います。厚く御礼申し上げます。
http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20120311#p4

さて、当方の記事がトラックバックとして反映されたのは、はてなの仕組みを知らなかったからで、リンクを貼ったらたまたまそうなっただけです。本題には無関係な話ですが。

当方の理解で申し上げますと、労務屋氏は当方の議論のやり方について論難しているものと思います。エスパーだの何だとのおちょくって書いているし、説得する気があるとも思えない、ということでしょう。以下の記述を引用しておきます。

論敵を説得して譲歩を引き出そうと思ったらそれは決して賢明な作戦ではなかろうというのは、これは前回のエントリに限らすこのブログで繰り返し書いてきたことなのですが、まあ私の意見にもなかなか同意いただけない事情もありましょうとは思います。その矛先の向き方もいろいろあろうと思うわけで…くわばら、くわばら。


当方からすると、労務屋氏が論敵だという認識は全くないし、仮に賛成派だとしても説得すべき相手でもなければ譲歩を引き出すべき相手ということでもありません。そんな気は全くありませんね。別に、労務屋氏のTPPに関する過去の主張というものがどうなのかは、一切問題としていません。
ただ単に、労務屋氏の「JAのネット上の記述に対する批判」が批判のやり方としておかしい、或いは不公正・不適切でしょう、という例題として挙げたまでです。
当方の記事が『決して賢明な作戦ではなかろう』としても、JAの広報活動がやはり賢明ではないと評価されるとしても、それはそれで何ら構いません。当方はそのことを問題としてはいないので。JAを批判したい人はすればいいだけで、これを問題としているのではありません。


それでは、具体的に何を不公正と考えたかを書いておきたいと思います。
前の記事でも述べた通りに、「JAの主張」が行われた時点でなければ、JA側が不利になるに決まっています。自分だけが最近の情報を知った上で、過去の「JAの主張」を一方的に批判するのは、不公平ではないですか、ということです。議論のやり方として、不適切ですね、ということです。しかも、その過去の主張をあたかも「たった今の主張」であるかのように扱い、これを論うことによってTPP反対派共通の手法であるかのように誘導しています。そのような議論のやり方は卑怯であり、公平ではありませんね、という話です。

労務屋氏は、前の記事で次のように述べています。

『もちろんJAのやることですから本命は農産物の市場開放を拒むことであり、とにかくTPPにネガティブなことであればなんでもかんでも動員してみたということでしょうが、しかしここまで明白なデマゴーグを並べるというのもどんなもんなんでしょう。ほかの部分のとんでもなさを見ると、かえってJAの本命である農産物についても「きっとデタラメ書いてるんだろうな」と思ってしまう人もいるのではないかと思うのですが。』

ここで言う、『明白なデマゴーグ』や『ほかの部分のとんでもなさ』というのはJAの主張内容についてであり、もしもJAが名誉棄損だということで労務屋氏を訴えた場合、氏がこの立論を行うべき責任を負うはずです。その時の基準となるのは、当時に知り得た情報からして、デマゴーグであったかどうか、ですよね?

例としてよくないのかもしれませんが、とりあえず。
ギリシャ国債とイタリア国債に投資を推奨します」
「トリプルAの各種債券に投資を推奨します」
エルピーダ株を買い推奨します」

仮に、こういった記述や主張が過去に存在していたとして、その当時には国債格付けの引き下げが行われるとかデフォルト危機になる、リーマンショックの如きモーゲージ債券等の危機が訪れる、エルピーダが再生法申請となる、といったことを知ることができなかったのであれば、これらを「デマゴーグ」や「とんでもなさ」と評価できるのか、ということです。今になって、新たな情報を得た時点から見て、「こいつらの言ってるのはおかしい」と主張するのは、本当に公平な議論なんですかね?

労務屋氏は、
私はとりあえず「事前にわかってなかった」情報が判明した時点でどうなのかを議論しているわけです。
と述べていますが、情報が判明した時点でどうなのかを議論するつもりであるのに、相手側には「判明した時点」の主張機会を与えず過去の主張のみを殊更取り上げて批判する、ということですよね。そして、これを正当であると主張するつもりなのでしょうか。


おかしいと批判できるとすれば、
①当時から一般的に入手できる情報を分析すれば、容易に結論が得られたはず
(=故に自分は当時からそう主張していた、得られた情報も提示できる)
②今の新たな情報を得た上でもなお、同じ誤った主張を繰り返す
といったことがある時なのではありませんかね。

従って、米政府高官が否定したにも関わらず、JAが過去に「〜が議題となる虞がある」という意見を一切変えようとしない、ということなら、JAは間違った主張を繰り返している、と言えるでしょう。それとも、労務屋氏は①の立論ができる、ということなのかもしれません。実際、労務屋氏曰く、
私は私で「そこまでおそれるには足りない」という情報も持っている
ということのようですから、そうした情報は一般的に知り得る情報なのかどうか、その情報を知ったのはいつの時点なのか、ということを明確にする必要があります。当時(例えば昨年11月1日)から、であるなら、当時からそのように情報分析し主張していた旨、示すことができるはずです。勿論、情報源も、ですよね。
情報源を示せないような特殊な情報源(例えば当方の例示したUSTR内部、とか、笑)であるなら、それは一般的に知り得ないものであり、JAが知らなかったとしても非難できるようなものではないはずです。


エルピーダ破綻の結果を知った後で、過去の「エルピーダに融資しましょう」だの「エルピーダ株は買い」だのといった主張を「間違いだ」と否定したところで、何になるというのでしょう。
しかも意図的に過去のこれら主張を取り上げて、「明白なデマゴーグだ」「トンデモだ」とあたかも現在も全く同一の主張であるかのように読者を誘導し、これをバッシング対象とするのは、議論のやり方としてどうなんだろうなあ、”賢明な作戦”と呼べるものなのでありましょうか、ということなんですよ。

最新の情報を加味すれば「JAの過去の主張は杞憂であった、今となっては誇大表現になるだろう」といった論であったなら、当方とて、目を引くほどの記事であったとも思いません。そうではなしに、卑怯な議論のやり方で反対派を「デマ拡散」と決めつけたように感じたわけで、氏のご指摘通りにタイトルからして冷静でなく”感情的な罵倒と難癖に終始している印象”の記事を書いたまでです。

氏の議論のやり方が適切であるとは、到底思われない、ということです。
因みに、当方の引用記事のリンク先が拙ブログになっていない、というのは、何らかの意図があるのでしょうか。リンクすると、何かがある、とか?(笑)