怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

「女性の社会進出」という名の不幸?

女性手帳の一件から始まって、女性陣からの不満の声が結構聞こえてくるようだ。

こんな注目記事もあったみたいだし。
http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20130519/1368967495


当方はまさしく昭和の「オヤジ層」でして。なんか目の敵にされてるような気がする。オヤジというだけで(笑)。


当方は女性ではないので、何とも言いようがないわけですが、結局は女性たちはどうしたいのでしょうか?
好きにすればいいんじゃないかと思うけど。
働きたい人は、働いて実力を発揮してくれればそれでいいし、結婚したくない人とか出産したくない人とかは、別に自由にしてもらえばそれでいい。


けど、出産した人とか専業主婦とか、そういう「区分」を行って、いちいち文句をぶつけてきたり、こうなったのは社会の誰の責任でオヤジが悪いとか、自分と違う階層や境遇の人々を矢鱈と責めるのはよしてもらいたいとは思う。


専業主婦が奴隷とか、意味が判らない。会社で経理をやったり営業をしたりコードを書いたりするよりも、料理したり裁縫したり育児をしたり親兄弟の面倒をみたりする方が得意な人たちがいても当然だし、そういう自分の得意分野をやってくれればそれでいいんじゃないかと思うけど。好きな人、やりたい人が、やっているならそれで別にいいと思う。



昔は、女性は「子供」を産んだら、圧倒的勝者というような評価だったわけです。お世継ぎの男児を産むことが、女性の評価を高めた、ということです。そういうのがけしからん、というようなことを女性側が言うようになって、子供を産んだ女性の評価は大幅に減価されたようなものだ、ということです。


頭がいいとか学があるとか、イノベーションだか創造的能力(笑)だか、英語力があるとか、そういうのは女性の評価としてはあまり重要ではなかった、ということです。気立てが良くて子をたくさんもうけられる女性というのは、それだけで良かった、ということです。特殊な能力なんか必要とされていなかった。


だけど、そういう「女性は子を産む機械」なんかじゃないんだ!、というような意見を言い出したのは、主に女性側だったんじゃないでしょうか。子を産まない女性には「プレッシャーがかかるからやめろ」、「姑や舅から後継ぎを求められる立場になってみろ」、等々、子を産む女性への無条件の称賛は、女性側から「ダメだ」というようなことを言うようになったんじゃないのかな、と。多くの女性がそう思っていたかどうかは別として、世間に目立つ立場の女性の言説というのは、そういう感じだった。


見合い結婚というのも、一度も会ったこともないような男性と結婚させられるのは不幸だ、迷惑だ、女の好きにさせろ、というようなことで、確かにそうだろうけど、自由にしてもらって、その結果として結婚できない女性が増えてしまったように思う。


結婚が成功じゃない、結婚が人生じゃない、等々、これも色々と言われてきたわけだけど、じゃあ自由にして勝手にしてもらえばいいですよ、ということで、結婚できない女性が多くなったわけで。


結婚したい、子を産みたい、という願望を持ちつつも、それができてない女性は結構いる、ということですわ。


要するに、女性の側が、あれこれと小難しい理屈をつけて、あれも嫌だ、これも嫌だ、ということで拒否することが多くなって、男側の問題が多すぎるからだの子を産む女性を賛美するなだのと、女性側の主張を取り入れてきた結果が、今の「結婚できない社会」なんだわ。


大体、結婚や出産なんて、お局みたいな適齢期(このような言い回しも差別的と?)を逃した女性たちが、難しい理屈をこねくり回すようなものではなくて、もっとより本能的なものというか直感的・感情的なものなんじゃないのかな、と思うわけですわ。


子を産んでない女性の「肩身の狭い思い」みたいなのが過度に重視されて、過去にあったかもしれない「特別な才能も取り柄もないけど、子だくさん」という女性への敬意や高評価が失われてしまって、少子化を加速させてしまったようにも思えるわけです。

昔は、保育園なんかなかったけど、子供は多く産まれたわけだ。
いや、別に現代の子育てを否定しているわけじゃないよ。だけど、女性側の注文が多くて、どの層に照準を合わせても、必ず文句が出るわけ。教育費にお金がかかるから、沢山育てられない、という事情だってあるかもしれない。確かにそうだ。だったら、社会が「子供を産んでくれてありがとう」ということで、多く産んだ女性を評価するし社会全体で教育を引き受けるということがあってもいいんじゃないですかね。


結婚が全てじゃない、出産が人生の目的じゃない、というような話は、間違いじゃないけど、その価値観みたいなものを世間に広めて、他の女性とかに押し付けないでほしいとは思う。言い方が悪いけれど、少々勉強ができなくたって、健康で子を産んだ女性は、それだけで無条件に「偉い」んだ、ということを肯定するのを許容してくれればいいのです。これを「ダメだ」とか言われるから、困るわけで。


昔は、早くから働いて、結婚し出産した。今は、遅くから働いて、適齢期になっても時期を過ぎても働いて、高齢では辞めてるわけだ。
だから、1960年の女性の就業率は今よりも高く、50.9%だった。これは1970年でも同じ、50.9%。高齢層の人数が今より相対的に少ないので、女性全体で見れば働いている割合が、昔の方が高かった、ということ。しかも、中卒や高卒で働いていたわけで、24歳以下の就業率が圧倒的に高かった。女性の社会進出ができてなかった、なんてのは、実は幻想だったのでは。

昔は、今より5〜10年早くから社会に進出して働いて稼ぎ、その分早くから仕事を止めて結婚や子育てに移行していたわけだ。25〜34歳の女性の就業率は、昔が概ね半分くらいだったのが、2010年だと3分の2かそれ以上が働いている。

しかも、昔の女性の場合だと、農業とか商店といった職場と家が同じという人は結構いたはずで、そうすると子育てしつつ仕事もする、という状態が発生するわけである。だから、60年代とか70年代でも女性の就業率は、そこそこ高かったわけ。昔は、専業主婦でみんな仕事をしてない、なんてことは多数派というわけでもなかった、ということ。1970年の就業率が50%を割り込んでいるのは、15〜19歳、25〜29歳、30〜34歳、60歳以上の層、だけである。それ以外は、半数以上が働いていた、ということ。
90年でも、15〜19歳、60歳以上で、同じ傾向だった。中間層は半数以上が就業していた、ということだ。


要するに、ごく少数派でしかない「男と同じように競争しなければならない、男と同じ扱いで仕事も同じで」といったような女性の意見が、主流派みたいに扱われてしまったのでは。女性は、生理的条件が男性とは異なるのだから、仕事と子育てとかをそこそこに、ということにするか、どちらかに専念するか、という選択になっても不思議ではないわけで。


あれこれと書いたけれど、女性の大半に通じるというような理屈は、あまりよく分からない。ヘタに学をつけたというか、それなら早くに社会に出て働いて収入を得た方がマシなのでは。
そして、小難しい理屈を言う女性たちが、あれこれとひっかきまわした結果なのではないか、と。もっと本能的なものなんじゃないのかな、と。本当に彼女たちの意見が正しかったのなら、幸せだという女性たちがもっと街にあふれていなければならないはずだから。