怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

東電の資金繰り問題〜2

原子力損害賠償に関して、少し前に話題になったようだが。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO63045780T21C13A1MZA001/

(一部引用)
福島第一原子力発電所の事故後、東京電力の対応が変化したことに関する記述も興味深い。当初、原賠法3条ただし書きにもとづく免責を主張していた東電は、訴訟の乱立による混乱の拡大をおそれ、免責要請を撤回した。その後東電が自ら法的整理を模索するにいたったのは無限責任等の厳格な責任を回避するためであったが、政策担当者は東電の責任逃れを封殺し、その結果、東電の実質国有化が必然化したとしている。

 原子力損害賠償支援機構スキームを構築した官僚たちの役割をやや過大評価しているきらいがあり、支援機構スキームのもつ限界性への指摘が弱い印象を受ける。

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元々、東電も銀行団も経産省も、みな「3条但書」を適用させようと必死になっていたのだよ。大手マスコミも、それを支援していた。経団連会長も全銀協会長も経済同友会会長も商工会議所会頭も、みんな「但書適用だ」と豪語していた。

しかし、それはおかしいのではないか、と拙ブログでは考えて、次の記事を書いたわけである。「原子力損害の賠償に関する法律」(マスコミなどでは原賠法と略称される)についての解釈を当方の独断で行い、書いたものである。


11年5月1日>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/1172995f571f1114a0ec95a8561f95ca


しかし、4月後半ではずっと適用だ適用だと東電も財界も銀行も大合唱だったので、当方のようなド素人見解を採用することなどあり得なかったろう。オレがいくらそう主張してみたところで、社会の重要部分は別の所で決まるわけだから。

しかし、3条但書が適用されたら、国の賠償義務もなくなって、東電は政府支援を受けれないことは確定となる。銀行団だって、松永次官の口車に乗って緊急融資を2兆円もぶち込んだわけで、これの責任問題へと発展するのは必定だった。


一連の流れは、次の記事で述べた通りだ。

11年5月30日>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/9ea714985aebe0e17895a536549dbbb4

11年5月31日
http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/818059defb70fb1a02a682a3a46509a3


経産省の官僚ばかりではなく、金融庁サイドも銀行に「貸せ」と言った、とされているわけだ。そして、30日の記事で指摘した通り、政治家が介在してない、ということなのだな。


(再掲)
2つの記事を読んで即座に感じた最大の疑問は、この中にはただの一人も「政治家が登場しない」ということだった。
つまり、この国では、重要な案件を相談したり考えたりする時には、政治家なんかには用はない、官僚が即決すべし、ということであろう。
民主党政権になったとて、やっぱり官僚主導国家ということだろう(笑)。
記事を読んでゆくと分かるが、官僚が勝手に思惑で発言したり決めたりして、それに銀行も従うという図になっているわけである。銀行が従うというよりも、本当は銀行サイドの意向を受けて官僚が動いた、ということかもしれないし。
大きな問題なのは、官僚はあたかも”国”を代表してしまっている、ということである。一官僚に過ぎない人間が発言したり、行動したりするわけだが、それがどういうわけか「国が約束した」ということにされてしまっている、ということである。官僚の考え・発言=国(政府)決定というすり替えをまんまと利用されているのだ
。』


前記日経記事書評の橘川一橋教授が「官僚たちの役割を過大評価」と書いているが、現実にあれこれと画策して物事を進めていったのは、恐らく官僚たちだったのだよ。東電の緊急融資決定自体が、まさしくそうだったわけで。

(再掲)
じゃあ、もしも銀行の融資回収に穴が空いたら、松永次官が個人で責任を取って、弁償でもしてくれるとでも言うのか?
口約束みたいにして、銀行に金を出させるというのは、「国が決めたこと」とでも言うつもりか?

金融庁・森、経産省・北川と山下らの官僚が、誰のどういった指示で動いていたのか、ということだ。そこに政治家の存在が、全く見えてこないのである。
官僚の暴走と何が違うのか?


もしも3条但書適用してしまうと、東電に貸し込んだ銀行の責任問題へと発展する。その上、融資を要請(実際には命令にほぼ等しい、ということか。拒否したりすると金融庁検査など公権力でイジメられる)した官僚たちの責任問題にも繋がるわけだよ。それだけは何としても回避しなければならない、と。救済スキームを考えるヤツラは、そういう「責任逃れ」の方策だけはお得意だからな。


5月20日http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/33092492068f474ac564f1e201f67e1c


法的に争うべき、とお勧めしたにも関わらず、銀行団はダンマリに戻ったわけだよ。何故なら、火の粉が自らにも降りかかるから、だ。東電は資金繰りにつまり、破綻することは避けられなくなるから、だ。社債償還だって、短期資金だって、銀行融資返済だって、いずれも止まれば倒れるからな。


格付けが5段階も一気に落ちて、倒産同然の企業に多額融資を継続するとなれば、メガバンクさんだって「審査を通す正当事由」というものが必要になるわけ。まさしく「半沢直樹の世界」みたいな話なんだよ。再建計画なり経営計画なりが「妥当性がある」という内容じゃないと、資金回収を避けたらその時点で銀行は背任同然だろうよ。

つまり、法的に銀行が義務違反を回避しようとすれば、「東電が倒れそうにない」という大義名分が必要なのであり、それは「3条但書適用」になってしまうと政府支援が受けられないことが確定となるので、他の理由を探し出す以外にはない、ということなのさ。それは無理に決まっている。


故に、政府支援を前提としない限り、救済はできない、融資継続もできない、というのが不可避なのだ。政府支援の法的根拠はどこにあるかといえば、3条但書の際に適用される17条ではないのだ。


このヘンの話と、救済スキームについても当時書いた。

11年5月19日>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/cb090643bc67c17a6424647c89e8f7df


因みに、記事の本文中では、「現状回復未達」とか書いてしまっていますが、これは誤字でした。正しくは、「原状回復」です。そのように読み替えて下さいませ。
電気事業法上の原状回復義務が課せられているのは、あくまで「原状回復」です。


そして、東電が最も恐れたのは、過失を法的に争われたりすることだったはずだ。何故なら、女川発電所や福島第二発電所メルトダウンを回避できていたのに、福島第一だけが苛酷事故となれば、「操作ミスがあったのではないか、予見可能性があったのではないか」ということを、裁判で検証されることになってしまう。


これを本当にやられてしまった場合、法的責任を逃れられるか疑問の余地があったはずだ。しかも電気事業法64条及び65条違反は確定的となるから。


なので、3条但書適用というのは断念せざるを得なかった、ということであろう。そうじゃなければ、東電以下、経済界全体で反対していたのを、そう簡単に政府が引っくり返せるはずがないもの。今の安倍政権を見てみよ。経団連が絶対反対といえば効力を発揮しとるでしょうが。


津波のせいと言えば言い逃れできると考えていたはずだが、どうも自信がないということで、政府支援を受け入れるしかなくなったのだろう。

5月15日>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/8aaa8a97557c3beb09b214366627d347



東電も、霞が関官僚も、マスコミも、銀行も、そういうエリート階層の連中が腐った状況を作り上げたのだ、ということさ。その暴力団まがいの関係は、今でも続いているからこそ、無担保融資の強要ということなんだよ(笑)。