怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

浅田真央さん、ありがとう

書く時間があまり取れなくて、遅くなってしまいました。



遂に、終わってしまいましたね。
本当に長く苦しい道のりだったと思います。お疲れさまでした。


まず、全体的なことを話しておきたいなと思います。
メダル争いは、ミスの少ない者同士で厳しい戦いでした。印象的だったのは、やはりコストナーでしょうか。過去のどの演技よりも、今回は良かったと思います。特に、ショートは素晴らしかった。彼女のスケート人生最高の出来だったのではないかと思えました。キムヨナよりも高得点ではないことが不思議でした。

ロシア期待の若手新星たちは、今後も活躍が期待できることでしょう。リプちゃんは団体でも非常にいい演技を見せていましたし、ソトニコワもメダルに相応しい内容だったと思います。が、やはりジャッジへの不信は、残り続けるものと思います。

言うなれば、今回の採点というのはバンクーバーでの「ヨナ・ジャッジ」を隠蔽し正当化する為のものだった、ということです。だから、ヨナには再度高得点を与え続けることが必要だった。そして、「選ばれた特定の誰か」を優勝させることができる体制というものを、誰かが手中に収め続けることが必要とされたのです。

それは、恣意的とも言うべき不可解な「加点制度」の温存と正当化、ということでした。それが端的に現れたのが、ヨナやソトニコワへの大幅加点でした。これが残された背景というのは、結局の所バンクーバーでのヨナ・ジャッジ疑惑を払拭せんが為のものということですね(今回望外であったのが、真央さんがショートで想定外のミスを重ねたこと、であったはずです。”手”を使わずに済んだから、です。もしも大きなミスなしの演技であった場合には、採点でより傷ついていたことでしょう)。


これからの傾向としては、できるだけ安全に決まり切ったメニューをこなす方が楽だし高得点になる、ということで、技にチャレンジする人は減るでしょう。そして、商業的に価値の高い人が勝てるシステムになっていさえすればいい、ということであろうと思います。競技としてのスケートという面は、より過少評価されることになったものと思います。


真央さんの成績は、皆さんご存じの通りです。
先日、拙ブログ記事で書いたことが、現実になってしまったかのようです。

2/7>浅田真央さんへ


ぼくは本当に、泣いてしまいました。
何故か涙が流れていました。きっと日本全国で、大勢の人たちが涙しながら真央さんを応援していたと思います。


また、『今回のオリンピックでどんな成績、結果であろうとも、悔いなくできればそれでいい』などと書いたものですから、金メダルではないことが予期されていたかのようでもありました。すみません。


でも、フィギュアスケートがこれほどまでに深い感銘を与えてくれるものであると、真央さんの演技を通じて経験することができました。こんなにも、人の心を揺さぶるのか、と。それほど感動を与える演技でした。


バンクーバーでは手の届かなかった、金メダル。
それは、前にも言ったように、未完のラフマニノフ「鐘」だったのです。未完であったからこそ、今回ソチではその「第二幕」ということであったものと思います。それ故、同じラフマニノフの選択でした。今度は完成させるんだ、という決意の顕れでした。


第二幕という意味は、演技冒頭の入りを見てもそう感じました。「鐘」を目に焼き付けた者たちには、見てとれるものかな、と。再びチャレンジするという意志を込めた、プログラムであったと思います。


そして、その期待に見事に応えてくれました。
どの選手の演技よりも、最高難度が求められるものでした。そのプログラムを見事に演じ切りました。遂に成功させたのです。バンクーバーの第一幕で達成できなかったことが、今回のソチでは達成できたのです。


これが可能な選手は、世界中にただ一人、浅田真央さんだけでした。
ここまで高みを追求してゆくという姿勢は、競技選手として模範的な姿であると思います。


心の底から感動した、この五輪を忘れません。
真央さん、本当にありがとうございました。