怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

辺野古沖基地建設に係る埋立承認取消の代執行に関する裁判の争点について〜5

産経新聞曰く、『最高裁判決などが壁として立ちはだかる』と寝言を言っているようだ。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151127-00000085-san-pol

(一部引用)

承認に瑕疵はないという後段の争点をめぐって、ポイントとなる判例は2つある。平成8年最高裁判決では、軍用地の使用に関して「首相の政策的、技術的な裁量に委ねられている」との判断を示しており、政府は県が普天間飛行場の移設先を判断する権限はないとした。

 翁長氏は辺野古の埋め立てに伴う環境保全措置も不十分として瑕疵と主張しているが、24年東京高裁判決は「環境保全のため常に最高水準を講じるべきとする絶対的基準があるわけではない」との判断を示している。これを踏まえ政府は環境保全措置は適正で、翁長氏の主張は「実行不可能な措置を強いるもの」と断じている。

======

前段の昭和43(1968)年最高裁判決については、適用も解釈も誤っていることをシリーズの4の記事で述べたので、ここでは省略する。不利益の比較考量であっても、大規模埋立工事は不可逆的であって影響の大きい事業であるから、埋立ない場合とは到底比べるべくもない不利益であることは明らか。


更には、承認の瑕疵についての検討もされているようである。
全くの推測ですが、国の訴状は、どうも年齢的に下っ端(失礼)もといお若い方々を動員して書かせた(下準備させた)ものではないでしょうか。判例も満足に解釈できず、主張点を正しく記述することもできないように思えます。いわゆる「ネット情報のつまみ食い」レベルでは。全くの論外ですな。

まず平成8年の判例から。
これが沖縄県と国の代執行を巡る裁判となった判決でしょう。
【平成8(行ツ)90 最判大 平成8年8月28日】


産経記事中にある、『軍用地の使用に関して「首相の政策的、技術的な裁量に委ねられている』という部分は、現在では適用できません。

まず、当時には防衛庁長官に権限があったのではなく内閣総理大臣でした(なので産経記事中には「首相」となっている)。今では防衛省があるので、総理権限ではなく防衛大臣権限のはずです。故に軍用地使用の「裁量権を有する」のは防衛大臣です。
当該判決文中では、次のように述べられています。

『諸般の事情を総合考慮してなされるべき政治的、外交的判断を要するだけでなく、駐留軍基地にかかわる専門技術的な判断を要することも明らかであるから、その判断は、被上告人の政策的、技術的な裁量にゆだねられているものというべきである。沖縄県に駐留軍の基地が集中していることによって生じているとされる種々の問題も、右の判断過程において考慮、検討されるべき問題である。』

駐留軍の土地使用について、これが合理的なのか妥当なのか等々の判断は、根拠法に基づく裁量権の範囲内であれば、合法的に認められるというだけに過ぎません。
最高裁は当該判決中において、「適法な裁量の判断の下」であることを明示しています。
当該代執行においては、駐留軍用地特措法土地収用法という根拠法に基づく判断があって、その上で後続する手続を巡る争いです。

本件埋立承認においては、沖縄防衛局(防衛大臣)が埋立地を決定できた根拠法は何か、ということを尋ねているわけですよ。それは、日米安保条約地位協定や日米合意文書という、防衛大臣裁量権を根拠づける法令ではないものは無効に決まっているのです。
国は「適法」の法の意味を全く理解していません。
法とは、大臣の裁量権を行使することを「許す」法令であって、日米合意や安保条約ではありません。防衛大臣が持つ裁量権により、米軍に提供する区域を決め、区域内に飛行場その他施設を建設・設置してよい、と認めている法律のことです。
普天間基地が完全な米軍基地であるなら、米国法しか通じません。厳格に連邦法の基準を全部遵守する義務を生じます。米軍の持ち物、みたいなものではないことは明白です。)

国は、根拠法を裁判で明らかにしなければなりません。


それから、当該判例は、元々沖縄返還直前までは「米国統治下」にあって米軍が戦後から使用を続けてきた施設及び区域を、「引き続き使用する」為に生じた争いでした。
借地借家法みたいなのに似てますが、現に今住んでいて地上部分を使っている、というような場合には、地主がいくら「出ていけ」と一方的に要求してもこれは難しい場合もあるよ、という例と近いということです。
しかし、辺野古沖の場合には違います。制限海域は元々米軍の独占排他的使用(漁船等の通航も不可なほどに)があった場所ではありません。「新たに」区域を決めた、というものです。それが防衛省告示第123号の制限海域、ということです。

当該最高裁判決時において、代理署名の対象となった軍用地は沖縄返還協定において合意された施設及び区域であって、本件埋立地とは異なります。すなわち、防衛省告示第123号で新たに米軍に提供した制限区域は、沖縄返還協定で合意された区域に一致せず、また、この制限海域や埋立地の範囲が米軍のみ使用でき、一般人の自由使用を一切不可能とする法的根拠は沖縄返還協定文書や国内法にも存在しません。


短くまとめると、

・「政策的、技術的裁量に委ねられる」のはあくまで適法下においてのみであり、その根拠法の存在が必須である。本件埋立地の根拠法令を明らかにせよ

防衛省告示第123号は沖縄返還協定の合意に一致せず、埋立範囲もまた米軍が自由に埋立地を形成できる権限の存在を証明する法的根拠はない


これらのことから、平成8年の最高裁判決を言う国の主張は適用を誤っており、無制限、無分別な行政の裁量権を肯定しこの実施を許可する為の判例ではない。


(海面の埋立は、その手続きが適法に実施された場合にのみ許されるのであり、米軍だろうと防衛省だろうと、使用するならば、法令に基づく正当な手続きを経てから使え、ということである。一般人の自由使用の権利を消滅させたいのであれば、法律でそれを実施するべきことである)


次の判例に行こう。
環境保全措置について、「環境保全のため常に最高水準を講じるべきとする絶対的基準があるわけではない」という国の判例適用は、あながち間違いというほどではない。

海岸法改正で、自治体権限が以前より明確にされ、例えば一般公共海岸区域の管理者は都道府県知事になっている。海岸法は岸からかなり離れた海面までは含まないが、海岸と沿岸部を一体として捉えれば、地域の自主性を尊重する方向へと変わってきたのだ、ということである。
従って、地域ごとに、何を重視するのか、というのは価値観が全国均一であるということではなく、自治体が基本となって自主的に判断すべきものである、ということだ。ある地域では、工業が盛んなので工場用の埋立地が必要とされるかもしれないし、名勝とか景観保全を第一に重視したいかもしれない。それは、地域の独自性として、自治体住人が自主的に判断するべき、というものである。どんなに環境保護が大事だといっても、市町村財政が立ち行かなくなるほどの保護策を実現できるかといえば、それは難しい。経済合理性も当然に関係してくるものだということ。

そうであればこそ、埋立承認の権限が知事にあるのは当然であり、配慮すべき環境保全措置についても、地域ごとの自主性が尊重されねばならない。自治体の条例や環境保全政策の方針に全くそぐわないものについては、「適当とは認められない」とする判断があっても、不当でも何でもないものである。

国は、「実現不可能な措置の要求だ」と言う。しかし、その批判はあたらない(官房長官風)。
国は、本件裁判以前から、埋立工事の主体は私人同様の一事業者である、と主張する。ならば、原則として民間事業者が行うであろう手続きを踏襲することは、ごく当たり前のことであるということになろう。もしも本件事業者が、民間人であったならば、どのような評価方法や手続きを必要としたのであろうか?

以下に、参照すべき具体例を挙げておく。

国土交通大臣の認可
環境大臣の意見
・「公共事業の構想段階における計画策定プロセスガイドライン」の適用検討
・「海辺の生物国勢調査マニュアル」の実施及び事後の継続的モニタリング
・「海岸景観形成ガイドライン」に基づく検討
・「河川・海岸構造物の復旧における景観配慮の手引き」を参照した事業計画


上記2点は民間事業者が50ha以上の埋立を行う場合には、必然的に実施される手続であるから、防衛局においても国交大臣への意見照会と前提となる環境大臣意見の聴取を実施することは、何ら困難なことではなかったはずである。その文書を沖縄県の申請に際して添付すれば、事業計画の信頼性向上になることはあっても、逆に審査を困難にするような不利益を生じることはない。

また、下4つのマニュアルやガイドライン等は、本件承認以前から存在していたものであって、現実の政策に反映されているものであるから、実現不可能な措置の強要などといった批判は全くあたらない。


処分庁からの「環境保全措置について、改善するように」という求め(指導)に対し、現行の政策の中で考えられる実施可能な手法を検討するのであれば、これら既存の制度なり政策手法なりを参考にすることは難しいことではない。そもそも所管省庁たる国交省において作成されており、これを取り入れることが「実現不可能な措置」などと呼ぶ方がおかしい。
これら行政が主導してきたマニュアルやガイドライン等は、日本最高水準を強制したり経済合理性を無視させたりするものであるはずもなく、地域特性に基づき自治体が主体となって実施できることを政策に取り入れる為の指針の一部である。
こうした最低限度の「実施可能な措置」すらも検討された形跡がない、というのが、本件埋立事業なのだということである。何一つ、やってない。


本件埋立事業において、国が適法に行っていないことの証拠は容易に見つけられるが、国の主張を裏付ける根拠は極めて乏しい。
少なくとも、判例の適用くらいはきちんと行えるようにすべきである。訴訟での請求以前に、お話にならないレベルで落第級である。これのどこが、「最高裁判例が壁として立ちはだかる」のか。笑止。



参考までに、拙ブログでは「沖縄県にだけ基地が集中していて負担が大変なんだ」という、過去に幾度となく主張されてきた論点を全く挙げずに書いてきました。
心情的には、本当にその通りだと思っておりますが、過去の裁判例においては、これをいくら言っても無駄というか無効であり、平成8年の代執行裁判での最高裁大法廷が判示したのも、そういう論点は早い話が「裁判には関係がない」ということでした。

だから、適法に請求されているか、手続されているか、という、国側を攻撃できる点だけに絞って考えてきました。行政訴訟においては、住民の苦しみを知るべきだというような説得の仕方は、裁判官には通じるものではないと割り切って臨むべきではないかと。