怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

finalventと池田信夫の暴論

finalventには、もうかまうまい、と思っていたが、これは本当に酷い。

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/finalvent/20111029/1319869937


以前もそうだったが、finalventの経済学に関するコメントというのは、アレげなものが多かった。ま、自分のことを考えても、人のことを言える立場にはないから、あまり触れないようにと思ってきた。
が、finalventがどれほど経済学に造詣があって、経済学知識に自信があるにせよ、己の経済学レベルから見て、内田先生を批判できるものであるはずないとしか思えないわけだが。過信が過ぎるな。
だったら、finalventは小学生以下だな、とオレに言われたいか?


もう一方の、●●の典型であるところの、池田信夫だが、これも触れる価値なし、と思うので読まないけれど、finalventと同レベルの、アレだな。

http://b.hatena.ne.jp/entry/ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51751984.html

こいつは、上限金利問題の時でも、ウソ八百、出鱈目を散々言っておきながら、その後もこうして反省なく、経済学知識と称して、誤った誘導をしているというわけだ。
上限金利規制は「厚生損失だ」ということを、需給曲線上で経済学の知識と理論でもって、解説してくれてた経済学徒はいくらでもいたんだっての。あれと何にも違いなんぞないわな。まあ、経済学の理屈なんだから、共通するのも当たり前なんだけどさ。


こういう連中に共通するのは、経済学の知識や理論というものが、現実世界に適用される時、どういった点に注意しなければならないか、ということを、自分で考えることができない、ということにある。

そうして、経済学理論での正しさを主張してくれるわけだが、破産者が爆発的に増加したわけでもなけりゃ、900万人が締め出されて全部闇金の餌食になったという報告も聞かない。

経済学理論のように、正確で、キレイな現実世界であるという、あまりに極端な大前提を置いている、ということに、気付けない愚かさがある、というのが、彼らの共通する病気である。


簡単に言ってみるか?
仮に、ブラック・ジャックをやるとしますか。これには、前提となる「ルール」がある。その”ルール上において”、勝負の戦略というものがあるし、確率論的に分析したり考えたりすることも可能になる。
だか、現実世界は、本当にそうなのか?
親がカードを隠し持っていて、八百長したり、カードをすり変えたりといった、「ルールにはない」汚い手を用いることは、現実には不可能ではない、って言ってるのだよ。経済学理論バカに共通するのは、こうした「別な手」の存在を無視するか、知らないか、考えつかない、という愚か者なのだ、ということさ。
カードが「ガンカード」(目印でカードが分かるようなタイプということ)だったら、知ってるか知らないかで全く勝敗が分かれるんじゃないのか?確率もヘチマもあるかっての。一方的に負けることは、あるよ、という話なんだよ。

つまり、EPAなんかの交渉ということについても、そういう技の駆使できる余地がある、ってことを言ってんの。日本は、いつも引っ掛けられる側だね、って言ってるの。為替やその他資金移動や投資なんかも、「裏技を使う余地」が世界が相手の場合には「あり得る」んじゃないですか、ってことを危惧しているのだよ。


比較優位や自由貿易論というのは、公平なルール上においては、原則として「成り立ちますね」というだけの話だ。それは、完全競争市場のような、「キレイな世界」では、有効な理論となります、というだけ。finalvent池田信夫如きに、この意味が分かるとも思えないが、外部不経済というものが想定されていない場合には、肯定できますね、という話だ。


また、簡単な例で考えてみよう。
甲国と乙国が自由貿易を行っている。甲が米作り優位で、乙は毎期米を100だけ輸入している。乙国の人の生存ラインは、一人当たり米5の消費(摂取)が必要で、これを下回ると死んでしまうものとする。今は一人当たり10である。
ある期において、世界的大凶作となり、甲国の供給量が40に低下したとしよう。輸出できる量が40までしかない。そうすると、乙国では、どんなに高値であろうとも買おうとするであろう。さて、この時、どうなるか、ということだ。

仮に40を輸入できたとしても、一人当たりの生存ラインは5であるから、8人までしか生きられない。10だった摂取量を5まで低下させたとしても、2人は食べることができなくなる。この2人は、どうするのか、というのが論点である。
例えば、強盗して他の1人から5奪って、生きるが、代わりの誰かは死んでしまう。それとも、金が払えない順に食べられず、死んでしまう。
米の需給だけ考えれば、100の時の価格と、40の時の価格は、市場の機能によって自動的に決まるであろう。あくまで需給によるのだから。だが、そこには、生存ラインを下回る人間のことなど、考慮に入っていないのだ。誰かが他の誰かを殺して奪う、といった「ルール外」のことなど、理論には織り込まれていない、ってこと。

他の仮定としては、自分のお金を無限に用意できるとして、米40の購入を10人が行う時、買えない人間2人は死が確定していると、米の価格はいくらになると思うか?
市場で決まるか?(笑)
無限に価格が上昇してしまうだろう。死と引き換えの米の値段、なんてものは、測定できないからだ。甲国で人口10人、乙国で人口10人、米の供給量は全部で16人分しかない時、甲国の供給量は乙国に対して、自国内と全く同じになるだろうか?自国分を先に確保し、余った分だけ輸出に回すのではないか?
乙国はインフレを恐れずに、生き延びる為にいくらでも紙幣を増刷して米を買おうとした場合、為替はどうなるだろうか?米の値段はいくらになるか?


こうした問題は、需給曲線が教えてくれるわけじゃない、って、前から何遍も言っているのだよ。比較優位だの自由貿易だのの論理が正しくても、供給量が激減した時、発生した暴徒が社会を破壊したり、戦争を仕掛けに行くというコストを考慮してないんだっての。生き延びる為に、米を強盗殺人で奪う場合の損失について、測定してないんだっての。それは、滅多には起こらないが、起こった場合にはコストが膨大となる、原発事故にも似ているのだよ。
そういうコストをまず考えて、それを示せる人間だけが、「完全自由化は正しい」とか「完全市場を目指せ」とか言ってもいいよ。

論より証拠、上限金利規制で、池田信夫の「破産者が続出する」だの「倒産が増える」だのといった経済学理論に基づく主張は、どこにどう証明されたか?
900万人が貸金市場から締め出されるって?
ほら吹きと何が違うのだ?
悔しかったら、説明してみよ。


ホント、訳知り顔で、理論だの何だのと、もっともらしいことを言う奴らに限って、ロクな主張をしないんだな、これが。
こういう手合いほど、どうしようもないのだ。己の過信と、学問的知識を鵜呑みにして、まんまと引っ掛かるのだ。ホラもまき散らすときてる。救いようがない。