怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

自由貿易に反対、とは言ってない

コメントを頂いたので、少しお答えしようと思います。

こちら>戸堂康之東大教授のTPP参加に関する論説について


以下にコメントを引用します。

根拠のない論駁で話を混乱させるのはやめましょう (匿名希望)

臥龍企業がどのくらい存在するのか、ということについては、確かに戸堂教授は明確にしていませんが、基本的に「自由貿易は生産者余剰の減少を上回る消費者余剰を創出する」というのはリカード以来の経済学の定理です。
TPP反対と言う人は、TPPが反対なのか、自由貿易が反対なのかをまず、明らかにしないと、いったい何に反対しているのかわかりません。
自由貿易に反対するのは、リカードを論破するだけの知的努力が必要ですので、どなたか頑張っていただければ、と思います。
また、TPP反対については、アメリカとの連携に反対なのか、農業自由化に反対なのか、中国や韓国をのけ者にすることに反対なのか、これも論点をはっきりさせるべきです。
「陰謀」「腐敗」「利権」・・・等、根拠のない論駁で話を混乱させるのはやめましょう。

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まず、一つの記事だけで早計に判断するのはお控え下さればと思います。何に反対しているのか分からない、ということであれば、せめて直近の過去記事くらいを通読されますよう、お願い申し上げます。


自由貿易そのものに反対しているわけではありません。
例えば
http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/925ad6a508c9fe2d92bda36b382cc620
http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/4a51150ea567a74536cfc966f67de1d6
http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/7640553f2a96434abfc026a81f80ee8d


自由貿易に基本的に賛成の立場、しかし、TPPには絶対反対、ということです。理由は、TPPだから、です。その枠組みは、絶対に許容できません、という意味です。中国や韓国が入ってないから、ではありません。

日本の主体的選択が脅かされている、国民の意見を広く聞いていない、一部の推進派だけが暴走している、参加の明確な具体的理由や根拠が説明されていない、代替政策が不可能という検討もない、他の通商貿易政策と比較検討もされていない、ということで、穴だらけだからです。

それから、核心部分ですけれども、
リカード以来の経済学の定理』
というのを、かなり絶対的定理の如くに仰っているようですが、やや乱暴な議論ではないかと思われます。

経済学の理論というのは、それほどの精緻さや正確性を備えているものではない、というのが、当方の捉え方です。リカードの論考が無意味であるとか、完全に間違っているということではなく、基本的には成立するものと考えるが、それには成立条件というものがあるのではないか、ということです。しかも、現実世界への適用ということになった場合には、前提条件がそれほど堅固に想定できるものなのか、ということがあります。

自由貿易によって供給力が上がった時、需要がそれに応じて増大するかというと、必ずしもそうではないかもしれない(時間差ということもあるかもしれない)、或いは、効率的に供給できるようになると、同じ産出を得る労働力が減らせることになるわけで、そうすると、そこで余った労働力は「どうなるのか」というのが、経済学の理論とかモデルでは、明確に示されていない、といったことが大変気になるわけです。
理論世界では、労働力は生きていても死んでいても、あまり違いなどなく、必要な時にはどこからか降って湧いてくるようなものです。必要がない時には、余って存在している、というだけに過ぎない。或いは「完全雇用」の世界ということに行き着くまで矮小化されてゆくのかもしれない。
しかし、現実世界では違います。労働力は、消えてなくなるものではない。完全雇用の成立も殆ど見かけない。そうした理論世界での「市場」には登場しない労働力は、現実世界の中では生き続けなければならないし、存在し続ける。世界の果てのどこかに一瞬で飛んで行って、雇用のある場所に行けるというわけじゃない。

そういうことを考慮しているのか、ということを言っているのであって、リカードは無能とか言うわけではないです。

他にも、完全競争市場なんてものが、本当なのですか、ということは考えておくべき、ということです。
http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/9fdd20edc629742f06edeab00b6dfca9


いずれにせよ、当方にとっては、「リカードの定理」というものの水準が、まるで自然科学的な法則―例えば物理や化学など―のような、正確性を持っているものとは到底考えることができない、ということです。経済学徒でもないので、リカードの”定理”とまで呼ばれているかどうかは知りませんが、経済学で言うところの定理というのは、まあ「その程度のもの」という認識です。これをそこまで絶対視されてもねえ、とは思います。論駁できる程、経済学を知っているわけではないのですがね。