怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

米国の貿易赤字は何故30年以上続いたか

有名な米国の貿易赤字であるが、70年代終わりから赤字(経常収支はかろうじて黒字だったが)となりはじめ、それ以降黒字を記録することは皆無となったのである。経常収支は貿易赤字額よりも若干少なく、その分遅れて赤字となった。経常赤字の大部分は、貿易赤字である。

年  貿易赤字(億ドル)

80   255
85  1221
90  1090
95  1737
00  4107
05  7012
10  6349

 ◎1980年〜2010年までの累計赤字額  8兆7652億ドル


リーマンショック後、貯蓄率がやや改善し、貿易赤字の縮減に繋がったが、消費主導の経済成長下支えであるので、貿易赤字の拡大基調に逆戻りとなった。輸出増を促進させようとしてはいるが、さほど成果は上がっていないようである。輸出促進政策で300億ドルの効果があったとしても、絶対的な赤字額の水準からすると、焼け石に水状態ではある。が、千里の道も一歩から、ではあるので、少しずつでも改善を目指すよりないであろう。


では、何故こうした赤字が長年に渡って継続できたのであろうか?

為替や価格の調節機能が不十分だった面があるのかもしれない。
他には、何があるか?
それは、過去のストックである。これまでの蓄積を用いて多く消費してこれた、ということであろう。その他にも、新たな借金を増やした、ということである。


結局は、1軒の家計と同じようなものである、ということだ。
家の稼ぎよりも多く使うということになれば、
 ①これまでの貯金で払う
 ②家財道具を売って払う
 ③新たな借金をして払う
みたいなことしかないわけである。
それか、為替減価であろう。これは物々交換のレートが下がる、ということである。例えば、これまでバナナ10本と魚1匹の交換だったものが、バナナ12本と魚1匹になってしまう、というような意味合いである。借りてた分を返す為に、バナナ2本分を多く差し出さねばならない、というのと同じこと。


米国の長期に渡る貿易赤字が可能であったのは、基本的にそれ以前の貯金が大きかった、ということがあるだろう。これが「このまま行くとヤバいな、崩れそうだ」となったのが、例の「ニクソン・ショック」頃であろう。

でも、貿易赤字は拡大を続けた。
旺盛な消費が経済を支えた、と見えたからではないか。米国は過去の貯金を全て使い尽くしてしまった。それが対外純債務国への転落、ということだった(①)。
そうではあっても、まだ消費を続けた。ナンバーワンであり続けることが、アメリカの証しであることを信じて疑わなかったからだ。そのプライドが、見栄っ張りのようなことが、赤字を膨らませ続けた。

ドルの減価を世界中で達成できれば良かったものを、「強いドル」幻想のような、変なプライドが貿易赤字縮小を妨げることになったのであろう。そして、過去の「貨幣価値の高かった」ドルがあったことが、災いしたのかもしれない。ドルは日本円に対して大幅に減価したものの、世界の基軸通貨であり続けることで高いまま保たれてきた、ということなのだ。もとから、とても通貨価値の安い通貨であったなら、通貨安が目に見えてはっきり分かるから、早晩輸入が苦しくなっていたはずであろう。でも、基軸通貨であるドルであるということが、それを妨げたであろう。

悪いことに、米国以外のドル・ペッグ国があった。準ドル・ペッグ国も含めれば、多くの国がドルを支えるのと同じ効果となってしまったであろう。ファイナンスが巨額であるのに、ドルを外貨準備で買い続ける国々が多かったからであろう。産油国や中国などが、ドルを支える同一通貨圏を形成していたのと同じようなものなのではないか、と。米国債が売れ続けたのは、そういうことと表裏一体なのだ(③)。

米国が財の輸出ができない代わりに、何を差し出したかといえば、不動産であるとか企業(株式)であるとか、そういう国内にある財産(家計なら家財道具のようなものだ)を切り売りして、外国製品を買った、ということなのだ(②)。


こうして、米国が輸入を続けてこれたのは、差し出せるものがあった、元から財産をかなり持っていた、ということに尽きるわけである。米国はストックで払ってきたが、それも行き詰まるといよいよ貨幣価値の減価となってきた、ということであろう。

米中間の貿易で考えてみると、中国が為替変動の受け入れをあまりしないということになれば、中国から米国への投資を継続するよりなく、それは裏を返せば「中国がアメリカに金を貸し続ける」ということをする、ということである。どこまでも、だ。
比較的変動の小さな事実上のペッグといえるバスケットを継続するということになると、中国の貿易黒字の縮減にはつながらないので、米国が中国に家財道具を切り売りするか、借金を膨張させ続けるか、くらいしかないということである。

例えば毎年6000億ドルの輸出を増やすことが、果たして今の米国にできるのだろうか?
それは、TPP程度の貿易協定を結んでみたところで、到底達成できそうな目標ではないであろう。

本気で輸出を増やそうと考えるなら、米国自身が基軸通貨幻想を捨て去る以外にはないのではないか。共通の通貨単位を構築できれば、どんなに中国が米ドルにペッグしてこようとも、米ドルは相対的に下がってゆくことが可能となるだろう。それは必然的に貿易赤字縮小をもたらすであろうことを意味する。購買力が次第に失われてゆくからである。輸入物価が上昇し、今までみたいには買えなくなってゆく、という「自動的な抑制」装置として働くからである。同時に、ドルの減価は輸出企業の競争力を回復させるはずなのである。


話は逸れるけれども、日本のデフレというのは、円とドルを観察するだけでは不十分で、こうした実質的にドル通貨圏の国々を含めた「海外」と日本国内の通貨を比較する必要があるようにも思えるのである。日中間の貿易額が急増してきた頃というのは、日本のデフレ期間に合致しているのであり、事実上のドル・ペッグ国であった中国は、ドル供給源とほぼ同じ意味を持つかもしれない、ということである。たとえていえば、日本円は、ドル+人民元に対して、どのような変化率を有していたか、といった視点が必要になるのではないか、ということだ。

以前にあった「輸入デフレ論」をバカにする向きは多かったようにも思うし、今でも頭ごなしに否定する方々は多いと思うが、供給される通貨という観点からすると、ドル・ペッグ国(準ペッグ国も含む)の存在というのは無視できないのではないか、ということだ。アメリカの○○州に輸出する、というのと、アジアの△△に輸出する、というのは、貨幣の交換という点で、実質的に円ドル取引とほぼ同じ意味合いのように思えるからだ。EUのような「一つの仮想の通貨圏」を想定(仮に「ドル帝国」と呼ぼう)すれば、その「ドル帝国」と日本との通貨供給量(の変動率、変化量)を見るべきなのではないか、ということである。
見るべき指標のようなものがあまりよく分からないのだが、例えば
 M2/GDP、マネタリーベース/GDP
のような指標を作って、その⊿を見るとか、実数を見るとか、名目GDPか実質GDPか、とか、色々と考えられそうではないのかな、と。いや、誰か研究者が数字を拾って、色々とやってもらえんだろうか、と。自分でやるのは、ちょっと大変なんで。

想定されるのは、日本が通貨供給量を増やした、と言ってみたところで、ドル帝国の供給量の変化率が、日本のそれをはるかに上回る場合には、円の増価は避けがたいのではないか、ということである。
それを人為的に為替介入によって調節機構を歪めてしまい、「輸出価格」を低く維持する為に日本経済全体が巨額の損失を蒙ってしまった、ということかもしれない。だって、「絹糸が売れなくなるから、円安にしてくれ、1ドル360円にしてくれ」とか言ったら、どうしますかね?(笑)これを受け入れると?政策に反映すると?

自動車業界や電機業界が言ってることは、そういうのと変わらないってことをです。円安を達成したければ、貨幣価値を下げることに同意し、その運動を支援しなければ、いつまで経っても変えられませんよ、と言っているのです。


つまりは、今までの最強だった「1万円札」をやめるべき、ということを言っているわけである。労働価値やモノの価値を上げてやるべき、ということなのである。

結論はやっぱり同じだな>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/cf4eb96f1e550af0f2b8b0c248e63a25

(再掲)

『今ある「10000円札」の価値が少し下がって、モノの価値が相対的に上がれば、物価が上がる、ということになってくる。つまりは、デフレからインフレになるよ、ということだ。貨幣よりも、「私の仕事」(=賃金)や「大根」や「髪切り」の価値が高まるのに、どうしてそれを阻止せねばならんの?1万円札の方が大事で、こういう「私の仕事」「大根」「髪切り」の方を下げましょう、ってことを真剣に主張している連中が大勢いるんだわ。
だから、こいつらの方がよっぽど「貨幣愛」なんだっての。
1万円札の価値の方がどんどん上がって行き、壷に入れてる「働きもしない紙幣」が一番の働き者で、この紙幣よりも「私の仕事」「大根」「髪切り」の方が働いてないという世界を望んでいるのが、こうした貨幣亡者さ。』