怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

奨学金返済延滞で自己破産の無責任

この前書いた、厚労省の年金漫画の話に関連する話題です。


40歳の方が奨学金の返済に窮し、自己破産申請をされたとの報道がありました。

http://b.hatena.ne.jp/entry/qbiz.jp/article/55587/1/


人には様々な理由や返済困難となる背景がありますけれど、報道の情報を見る限り、残念に思います。


参考>http://blogos.com/article/105360/



拙ブログの記事>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/58a04060c7f01da7930df7fe2c235039

この記事中で、奨学金について次のように書いた。


奨学金を返済する為に、日雇いだろうと夜間の土方だろうと警備だろうと、辺境地の住み込みだろうと、死に物狂いでやって、それでも返せないのか?
まずは、返すのが筋ってもんだろう。3食のところ、1食に削って水を飲んででも返済するのが借りた者の務めではないのか?
返せないなら、そもそも借りるべきではない。返済計画が実行できてない時点で、仕事の能力に疑義を生じるだろうね。スマホもやめて、バイトを掛け持ちしてでも返済するべきだろう。それくらいできないなら、借りるべきではない。損失を与えているのは、何も役人ばかりではないということだ。オヤジや社会を怨む前に、自分の能力不足・計画不備を反省すべきでは。』


報道の40歳の方は、無利子奨学金を借りており、バイトを掛け持ちしていても、返済ができなかった、ということのようだ。だとすると、当方が書いた条件でも返せないことがある、ということを示している、ということなのかもしれない。


病気をしたことが返済困難になった理由ということなのかもしれないが、月1万ちょっとの返済金すら不可能なら借りたことが間違いだったとしか言いようがない。また実家への仕送りを優先する理由というのも不明である。仕送りより返済を優先するのが普通なのでは?

まるで安倍政権のようだ。
返済(=国内の社会保障等)をせずに(=文教医療福祉費用を削る)、仕送り(=外国にいい顔する為にODAや無償費用提供)をするということ。


第一に、無利子だったので返済を少しずつでも継続すれば、返済が全くできなかったというのは理解できない。月1万円程度(年12万円)なら、家賃の安い所に住めば解決可能なレベルであろう。返済延滞で年額16万円に増えてしまった時期でも、月13400円を払い続ければ返済可能だった。この程度のマネジメントすらできないなら、そもそも大学進学の必要性が理解できないし、本当に返済を頑張ったのかも分からない。返す気が本気であったのか、ということ。全ての最善を尽くしても返済できなかったのだろうか?
月10万円とかの収入があるなら、少なくとも自分が生活し月14000円を捻出できなかったとは、到底思えないということである。家賃が高い、というなら安い所に行くべきであった。それとも、住み込みで稼げる所でも行けばよかったのでは?要するに、返済するということを優先することなく、自分の生活環境や都合だの、自分の金の使い道だのを優先し続けた結果、延滞が積み重なり総額が大きくなったに過ぎないのでは?


また、病気や低収入だったのなら、適正な手続きをして早期に延滞金発生を防止するべきだったのでは?大卒にもなってでさえ、こうした手続きを自らで解決策を探し出せないとすると、大学進学の意味が見出せない。大学など行くべきではなく、高卒で働いていた方がましだったのでは。結果論に過ぎない、とか言うかもしれないが、大学に行く、奨学金を返済する、という、この程度のことすら自らで解決できないなら、行く意味がないとしか思えないのである。月1万円を捻出できないとすると、今後、他のどんな仕事だろうとわが子の教育だろうと不可能だとしか思えないから。


はっきり言えば、甘いのである。
病気だとか定職に就けないとか実家の状況とか、そういうのは、言い訳に過ぎないと思う。これ以上に厳しい環境であっても、できている人はできているからだ。必死で頑張っている人たちは、世の中にもっともっと大勢いると知っているからだ。自己破産に至ったのは、仕方のないことだ。少なくとも、日本育英会のせいではない。

本気で返す気があり、自分の状況が困難なんだとすれば、相談に何度も通うとか延滞がかさむ前に手を打てたはずだ。それが社会の一般常識であろう。その水準に達してないのなら、進学などするべきではないし、借りるべきではない。