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福岡高裁那覇支部 多見谷寿郎裁判長の違法確認訴訟の著しい不当判決

辺野古違法確認訴訟 判決要旨
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/62573

(膨大な量の文書のまとめ、有難うございました)


あまりに無駄に長く、読むのが苦痛であり、時間を浪費したようなものだった。
代執行訴訟における国の主張を、ほぼ丸々引きうつしたかのような文章であった。全く判決の体をなしていない。国が「言いたかったこと」を全部代弁してくれたような代物に過ぎない。国の訴状を読んだのと何ら違いがない(笑)。

翁長沖縄県知事は、原告の国と裁判で対峙していたはずだが、裁判長が攻撃的に知事に立ち向かってきているかのような内容であり、知事の対決相手が裁判長自身であったことが手に取るように分かる文章だった。
国と裁判長が被告の沖縄県を同時に攻めてくるわけだから、裁判になぞなるわけがない。それが明白になったということで、歴史に汚点を残したことは間違いないだろう。裁判所の歴史上において、長く語られるべき裁判になったということである。


無駄な言い分にいちいち反論するのが徒労であるので、例えば『普天間飛行場の被害を除去するには本件新施設等を建設する以外にはない。言い換えると本件新施設等の建設をやめるには普天間飛行場による被害を継続するしかない。』などという、暴論に反論する意味さえない。
裁判長は、国権の最高決定権者ではない。このような断定は、既に裁判所の領域を超えており、行政府と立法府を併せた決定権を独自に発動しているだけである。


また、高々一裁判官が『北朝鮮保有する弾道ミサイルのうち、ノドンの射程外となるのはわが国では沖縄などごく一部であり、南西諸島は、わが国の海上輸送交通路に沿う位置にあって、沖縄本島はその中央にある。
これに対し、グアムからは、ソウルまでが約3220キロメートル、台北までが約2760キロメートル、沖縄までおよそ2200キロメートルであること等に照らして、沖縄に地理的優位性が認められるとの国の説明は不合理ではない。
』などという、特定外国名を挙げ、その攻撃兵器について事実確認もないまま推論を積み重ねた挙句、裁判所の管轄外の米軍の運用についてまで検討し妥当性を云々するなど、国の外交・国防上の政策論を逐一判断することなど、到底許されるものではない。
多見谷寿郎裁判長は仮想敵国や侵略の蓋然性等について論評する程の、軍事評論家にでもなったつもりなのか。法廷は、そのようなことを論ずる場ではない。


論点を拡散するのは、国の典型的な手法である。
実際に重要な点をボカす為であり、主張を面倒なものにすり替え、沖縄県側の足元をすくう為である。ウンザリさせて、判決文を読めなくしたいという基本的な手口にすぎない。
それに、沖縄県側も無駄にお付き合いしてしまって、多くを語ろうとすると、些細な間違いなどを突っつかれたりして、国の「ホラ間違ってる、どうだ」と鬼の首を獲ったかのような言い分を食らうことになるのだ。


国の無駄な主張に付き合うべきではない。
「論点ずらし」は暇なバカを大量に抱える側の得意戦術だ。詭弁師どもの、最も好きな方法でもあるのだ。


話を戻して、以下に判決の不当性について書く。



1)和解条件から沖縄県の違法を言うことはできない

同じ裁判長が和解に持ち込んだのだから、その条件を遵守するべきである。
沖縄県が提訴するべきとされた場合は、2つであり、
・審査結果に不服がある場合(地方自治法251条の五1項1号)
・国が勧告に応じた措置を取らない場合(同法251条の五1項4号)
である。
沖縄県は、審査結果に従ったに過ぎない。前者の1号要件に合致してない。


そして何よりも、和解条件は、「係争委が是正の指示を」
・違法であると判断した場合
・違法ではないと判断した場合
の限定がなされているわけである。

係争委の判断はいずれでもなかったことは明白であり、沖縄県が提訴するべき条件には当てはまらない。これは、和解に従っているものである。裁判長が和解条件案を提示したのだから、自分の出した条件に沿って行動している沖縄県と同知事に向かって「違法だ」と、どうやって言うことができるのか。

「是正の指示に従え」とする係争委の結論ではないのだから、そうしているに過ぎない。これは沖縄県の独断によるものでなく、係争委の結論である。そして、和解条件から、沖縄県が提訴する義務を負うことはあり得ないのである。故に、提訴しなかったことを違法の理由とすることはできない。

更に、沖縄県は既に自らが提訴の意志を持って、これを実現していたことは明らかな事実であって、地方自治法251条の五第1項第1号に基づき、本年2月に提訴していたのにも関わらず、これを取り下げさせた人間は、誰あろう多見谷寿郎裁判長ではないか。自分が提訴を取り下げるよう沖縄県に和解させておきながら、係争委の結論を受けて提訴しないのを違法と結論づけることなど、あるまじき行為である。


多見谷寿郎裁判長は、沖縄県が法251条の五第1項第1号に基づき提訴していたのを取り下げさせた上で、現時点で提訴しないので違法などと判決で言うのは言語道断である。法を弄ぶ詭弁に過ぎない。


2)係争委の勧告に法的拘束力はある

多見谷寿郎裁判長の到底許されざる判決が次のものだ。

是正の指示の適法性を判断しても、双方共にそれに従う意思がないのであれば、それを判断しても紛争を解決できない立場だ。また、国や地方公共団体に対し、訴訟によらずに協議により解決するよう求める決定をする権限はない。もちろん国や地方公共団体にそれに従う義務もない。代執行訴訟での和解では、国地方係争処理委員会の決定が、知事に有利であろうと不利であろうと、知事が本件指示の取消訴訟を提起し、両者間の協議はこれと並行して行うものとされた。
国地方係争処理委員会の決定は、和解において具体的には想定しない内容であったとはいえ、もともと和解において決定内容には意味がないものとしている
。』


地方自治法をまさしく「根底から覆す」発言の数々である。国地方係争処理委員会の設置の意義を無に帰する発言だ。行政への挑戦を一裁判官が行ったに等しい。

地方自治法において、国の関与の審査をすることは、国と自治体間の争いを解決する手段として、法的根拠をもって制定されているものである。それを、「適法性を判断しても紛争を解決できない立場だ」などと、どこまで司法権を過大評価し己の判決を過信しているのか。行政権への侮辱以外の何物でもない。


係争委の審査により、関与が違法であると判断されれば、勧告が出されることとされている。これが勧告であるのは、国という行政が「違法を承知で、違法状態を継続してやろう」などという考えを持つはずがない、という信頼性に基づいているものだ。
当然に、勧告を無視する場合には、国はそれをもって「違法」を構成するに決まっている。係争委の勧告に従わないのが許容されるのは、係争委の審査が間違っていて本当は違法ではないのに違法と結論されてしまった場合か、勧告を受けてもなおその措置が取れないような特段の事情があるか措置を実施するよりも特別に優先しなければならないような公共の利益があるような場合だ。
そういう考慮すべき特段の事情なり特別に優先しなければならない公共の利益があるのであれば、係争委にその旨回答するか、自治体からの提訴をもって裁判上で立証する等の手続を踏んで、それが正当であると認められれば、係争委の勧告に即した措置を取らないことが許容されるというに過ぎない。

本来的には、係争委の審査結果は尊重されるし、勧告には一定の法的拘束力を有するものである。それを無視したり、従わないでおいて違法状態を継続してやろうなどという考えを持つということ自体が、行政の根幹を揺るがす事態である。


また、多見谷寿郎裁判長曰く、『国地方係争処理委員会の決定が、知事に有利であろうと不利であろうと、知事が本件指示の取消訴訟を提起』ということらしいが、馬脚を現すとはまさにこのこと。
係争委の審査は、「知事に有利、不利」などではない。国の関与の違法性だ。これが妥当なものなのかどうか、それを判断するのであって、知事の問題などではない。
裁判長は最初から別件の訴訟でもって沖縄県を騙しうちして、国側全面勝訴・沖縄県敗訴にしてやろう、という魂胆が丸見えになったということである。

それが、
『国地方係争処理委員会の決定は、和解において具体的には想定しない内容であったとはいえ、もともと和解において決定内容には意味がないものとしている』
という言葉に現れているのだよ。
「元々決定内容には意味がないもの」とした理由は何か分かりますか?
係争委の存在を蔑ろにし、判決文で国を勝たせればよい、との「いよ!待ってましたぁ」感が出たものである。

係争委の審査結果は、国の行政庁にも自治体にも、法的に効果が及ぶのですよ。決して「意味がないもの」などではない。これを、何ら正当な事由もなしに従わない、という場合は「違法」を確定させるんですよ。強硬な執行力は持たない、というだけである。それは国や自治体という行政主体が、違法を前提として行動しないだろう、という信頼があればこそ、だ。

恐らく係争委は、国と那覇支部の邪心を最初から読み取ったが故に、彼らが待ち望んでいた結論ではなしに、違法とも違法でないとも判断を示さなかったのですよ。いずれにも該当しないという結果を出したのは、深い意味があったのですよ。



(つづく)