怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

サッカーは面白い

これまでのところ、コートジボワール戦での戦犯探しのようなことが行われているむきもあるが、大会後にしてあげてほしいな。選手たちも、ザッケローニ監督も、一生懸命やっているんだから。



まず、当方の記事で試合開始前に想像していたように、初戦の入りとしては守備を落ち着かせる、という一番の目的があったものと思われるので、采配ミスとかいうことは全くなく、むしろ順当であると言えると思う。

守備とフィジカルに優位な選手を選ばなければならないわけだから、ザック監督の目論見は割とはっきりしていたものと思われた。

最低限0−0で折り返せればいい、という判断であったのだから、1-0というのは望外ともいうべき結果であり、日本は作戦勝ちだったんですよ。ナイス、采配、だったんです。


ただ、向こうは、車で言えば日本より馬力のある、アメ車みたいな車であり、日本の方は小型車なんだから、出力勝負、加速勝負では簡単には勝てない。


で、相手の象軍団は、その馬力を生かして、白兵戦を仕掛けてきたんだわ。
何が何でも1点取る、という決死の覚悟で、なりふり構わず突っ込んできたんだわ。


守備陣はこれを耐えに耐えた。
相手は、将棋で言えばみたいな、強力な駒を持ってるわけ。ドログバは、そういう存在なんだ、ということ。これを増援として送り込んできたわけだ。


日本には、大駒はない。
みんな、金とか銀とか桂馬とか香車とか、そういう小駒系のチームなんだわ。


大駒の攻撃をはね返すには、矢倉とかそういう陣形が必要なんだな。


で、相手から決死の白兵戦を挑まれて、そちらの防戦に気を取られている隙に、ボウガン部隊がサクっと大将首を射止めたようなもんだ。大駒の攻撃ではなかった、ってことだな。まるで香車の空き王手に刺されたようなものだ。


日本は、白兵戦を挑まれたのが、将棋でいえば端攻めみたいな、数を一点に集中して狙われたような局面だったんだ。それが、「左サイド」ということだな。


端攻めを狙われたら、端の物量を強化して「受け切る」か、別の筋からの反撃で速度勝負で上回るか、ということになる。試合の選手数は相手と同じ数なのだから、相手が優位な人数になっている場所があれば、当然味方の数が優位な場所というのは必ずできている。そこを衝くかどうか、だ。



日本に大駒がない、ということは、ボクシングで言うところの「カウンター狙い」しかないわけで、相手のパンチが繰り出されたところをタイミングよく反撃パンチを返すしかないんだな。ヘビー級ボクサーならば、一撃の威力が違うから、ドカンと一発でダウンを奪える。日本は、そういうボクサータイプではない。


相手の力を利用して、カウンターパンチで仕留めるしかないんだ。
足を止めてパンチの打ち合いになれば、ウェイトの重い方が大体有利。パンチ力のある方が勝ってしまう。

日本が象軍団に負けたのは、カウンターパンチで先にダウンを奪ったが、その後カウンターを放てず、相手パンチを食らってダウンした、ということだ。アウトボクシングができなくなったから、だ。象軍団は日本から2度ダウンを奪った後、徹底した守りを固める亀作戦に切り替えて、カウンターパンチを受けないようにしたということだな。


受け切るか、攻め合いに活路を見出すかは、その局面による。
ただ、重量級の相手と足を止めての打ち合いは、避けた方がいい。

距離を取って、相手にパンチを打たせないと。
ただ、パンチは飛んでくるわけだから、それを食らわないようにしないといけない。


日本には小駒が揃ってるんだから、手筋で攻めないといけない。それは3手一組のようなものだ。飛車や角とは違う攻めがあるはず。


攻撃的にいく、というのは、試合中ずっとパンチを打ち続けろ、ということではない。
相手は必ずパンチを打ってくる。

攻撃される時間もある、ということ。
こちらが打ち続けるばかりの試合なんてあり得ない。


攻撃的なサッカーとは、全部を攻撃することではない。
受けもある。
何も真正面から突っ込んでゆくファイタータイプのボクシングだけが、ボクシングではないのと同じ。

相手が体力と重量にものをいわせて接近戦に持ち込んできた時、華麗にひらりとかわすステップもボクシング。気持ちは、強く持て。けど、戦況に合わせて対応することも必要。


相手との距離やタイミングを計る、それも必要。
重要なことは、的確なパンチを繰り出すこと、自分の有利な戦いに持ち込むこと、だ。



スペインも、イングランドも、ポルトガルも、ウルグアイも初戦負けたよ。

メッシでさえ、W杯で初得点を挙げるまで5試合か6試合くらいかかったんだよ?
今大会のクリスチアーノだって、イニエスタだって、ルーニーだって、無得点なんだよ?


世界的ビッグネーム――つまりは龍や馬のような駒――でさえ、無得点で終わる、それがW杯だ。
そう簡単ではない、ということさ。


日本なんて、特別だったわけじゃない。
そういう普通のことの一部だ、ということでしかない。
誰だれが無得点は全然ダメ、みたいな話にはならない。


野球のシーズンだって、全部の試合を勝とうというのはほぼ無理だ。
負ける試合もある。
だが優勝という目標は必要だし、それを達成しなければならない。


サッカーの試合中も同じ。
全部を一本調子で攻め続ける、というのは無理な話。
そうではなく、攻めるところ、間合いをはかるところ、呼吸を整えるところ、そういう流れがある、ということだと思うんだ。


相手が優位な場所があれば、どこかに必ず空きがあるはず、だ。
左が攻められたなら、左に味方戦力を補強するか、反対側にボールを回して相手の攻めを外すか、だ。それとも、空きを攻めるか、だ。


攻める姿勢というのは、相手の多い場所に無謀に突っ込めという話ではない。

相手陣営の弱点を探し出す作業も含めて、ということである。
自陣の陣形が整うまで待つことも攻めの一部であるはずだ。


空振りのパンチばかりを出すことが重要なのではないはず。
意味のあるパンチ、ヒットさせる為の作業、それを考えるべき。


単に、采配ミスでもない。
むしろ、称賛されてもいいはず。途中までは思惑通りの展開で試合を進めたわけだから。


ただ、相手の気迫と決死の怒涛の攻撃が、見事に当たった、ということだ。


相手パンチのよけ方が、他にも知っていればよかったな、ということはある。
正直に行きすぎた、ということかと思う。


ブロックするだけではなく、スウェーとかダッキングとか、色々とあるし、クリンチだってある。
そういうようなものだ。


大事なのは、自分自身の悔いを残さないこと。
これまでやってきたことを信じて、できることをやるんだ。自分ができること。


たとえ負けたとしても、悔いなく全力だったなら、相手を称賛すべし。