怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

ありがとう、ザッケローニ監督

ザッケローニ監督が退任を表明した。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140626-00000041-mai-socc



色々と本大会での批判はあるとは思うが、ぼくは素直に感謝したいと思う。

長い間、本当にお疲れさまでした。


ザッケローニ監督のお陰で、夢を見させてもらいました。
勿論、結果は惨敗だったけれど、期待を感じさせるチーム作りをこの4年間やってきたと思います。


そして、日本代表チームがある程度評価されるようになったのも、勝つのではないかという期待を膨らませられるようになったのも、ザック監督の力量だったと思えます。


今回のチームは、結果的に勝ってないことをかなりの数の人たちから批判されていると思いますが、どうしてそういう批判が出てくるのかと言えば、「勝てたはずだ」「勝つべきだった」と評価されているからだろうと思うのですよ。


チームの力量として、「勝って当然であるべき試合」だったのが、勝てなかったからこそ批判されるわけですよ。


これが、圧倒的弱者で、全く歯が立たない試合だったとしたら、やっぱり実力差がはっきり出たな、ということで残念さがそうでもない、ということになるでしょう。「思った通り、勝てなかった」と言われて終わりでしょう。


でも、惜しかった、勝てる試合だった、という思いがあるからこそ、残念だし批判も出るというものなのです。

結果だけ見れば、ギリシャが逆転で勝ち上がって行きましたが、それだって初戦負けの苦しいスタートだったし、日本に引き分けなんて絶望的という意見だってあったでしょう。でも、2位に滑り込んで、勝ち上がったんですよ。


ギリシャコートジボワールも日本と比べて、格上だしランキングだってはるかに上だ。
そういう強いチームと対戦して、勝つべきだった、と言われることって、昔にはなかったんだ。


それほど、日本の地力が向上した、ということなんだろうと思うのですよ。
全然勝てそうにない試合なら、やっぱりな、ということで悔しくもなければ、無念さもさほどではないのですよ。


けど、今回のチームはそうではないと考えられてきたんです。
それくらい高い評価を獲得してきたんだ、ということです。


敗因ということを挙げるなら、やはりメンタル面かと思います。

日本は予選とか、強化試合なんかでもたまに見られるのですが、浮足立つような雰囲気が窺われることがあります。やられた時の、時間の使い方とか修正の仕方なんかを、もうちょっと工夫した方がいい。足を治療するのに、時間を少し使うとか、そういうようなことだ。気持ちを冷静に戻す時間を取ったりするような、老練な試合運びをする、というようなことだ。


野球とかなら、マウンドに集まって一息入れたり、ピッチャー交代なんかで間を置いたり、というようなこともできる。サッカーは、そういうのを選手たちが自分たちで考えてやらなければならない。どこをどう修正してみるか、というような約束事をもっと考えた方がいい。弱いヤツほど、強い相手に立ち向かうには、色々と考えた方がいいんだよ。戦況を理解し、戦い方を修正できる方が勝てる可能性は高くなる。


理解する前に飛び込んでしまうと、同じパンチを食らってしまうこともある、ということだな。


ギリシャがチャンスをものにした。
日本とは何が違ったと思うか?
コロンビアに3点差負けだったのも、大して変わらないでしょう?


日本との試合だって、そんなに言うほどの力量差があったとも思えなかった。


それは、ギリシャには辛抱強く耐え抜く精神力があった、ということですよね。
引き分けだったら、コートジボワールが勝ち抜けだった。

でも、ギリギリでPKをもらって、勝った。
先制して、逆に追いつかれた後も耐え抜くことができた、ということだ。


そういう精神力が必要なのだろうな、と。
欧州でもまれているから、ということもあるし受けを得意とするというチームということもあるのかもしれない。たまたま結果的にこうなった、というだけかもしれない。


ただ、更なる向上を目指すなら、もっと考えるべき。
相手が籠城戦を仕掛けてきて、攻撃側が時間をかけて兵糧攻めを行うだけでは勝ち切れなかった、というようなことだな。


日本の攻撃が効いている時というのは、パスの出し手も動いているが、受け手も動き続けている時だ。
今回の大会では、得点が思うように取れなかったのは、受け手が「待っている」ことが多かったから、だ。ボールの出し手も、人を目がけてパスしてしまうから、だ。

もっと「誰もいない場所」にボールを送ることを意識しなければならない。
今は敵も味方もいないけど、味方が先に辿りつける場所を見越して、そこにボールを送ることだ。


コロンビアのカウンターが効果的だったのは、受け手がずっと動き続けているからで、DF陣も捕まえきれず翻弄された。


日本の攻撃が悪い時は、そういう予測性のあるパスが少なくなり、人のいる足元目がけてボールを送ってしまう。連動性が乏しくなる、というのは、受け手の動きが減っているから、だ。


人のいない場所に、やさしく転がす、というイメージが少なかったんだ。
例えばギリシャ戦でのウッチーの絶妙のセンタリングは、そういう点では光っていた。

香川がウッチーの走り込むであろう先に、ボールを送った効果だった。

できれば、ウッチーが全力で走り込むのを見たら、もっとゴール前に飛び込んで走っていなければならなかった。大久保が少し遅れて入ってきたが、本当なら正面に2人は来ていて先に触るべきだった。正面で一人触れなかったが、動き出しが遅いが故である。


岡崎の同点ゴールも、本田が動いている中でセンタリング、岡崎は走り続けた中で先にヘディングできた。
だから、ゴールをこじ開けることができたんだ。


受け手は走り続けた中でボールを受ける、そういうことをゴール前でやり続けねば、守備のよい相手からの得点は難しい、ということである。チーム状態の良い時には、それがもっとできていたが、今回はそれが少なかった、ということだ。



いずれにせよ、今回の大会は負けたが、この4年間に新たな希望や期待をたくさん経験させてもらえたので、本当に心から感謝している。

イタリアもイングランドも敗退だよ。日本が予選ラウンドで敗退したからといって、そんなに極端に卑下するほどのことではないよ。方法が間違っている、とかいう安易な話ではなく、どこに躓きがあったか、ということかな。守り重視の方がいい、とかいう簡単な話ではないし、ここを乗り越えなければ前進はない。



ザッケローニ監督で良かった、と思っているし、日本サッカーの向上に多大な貢献をしてくれて、心の底からありがとうと言いたい。

代表チームがここまで好かれるようになったのは、ザッケローニ監督のお陰と思います。


本当にありがとう。



ちょっと追加ですが:

本番で実力を十分発揮できる、というのは、難しいことなのですよ。
これがチームとしてできる方法、なんていう正解は、サッカー界だけではなく、どのスポーツでも誰にも分からない難事であるはずです。


普段通りの力が発揮できる、のびのびプレーできる、なんてものは、どうやったらできるようになるのか、誰にも分からないのです。

オリンピックとかだって、そう。
どの競技、どのチームでも、実力はありながら、本番では発揮できないことなんて、ごくごく普通に起こることです。それは、監督個人の責任でもなければ、選手たちのせいでもない、これまで誰にも解くことのできない謎なのです。


結果として、本番で力が発揮できなかった、というのは、当たり前に起こることです。
巨人とパリーグの3チームが試合をして、巨人が一番の成績を残せるかどうかなんて、分からないものです。試合数が多くなれば、ペナント、日本シリーズ交流戦で巨人が優勝、みたいなことにはなるでしょう。

けど、短期決戦の場合には、勝負運もあるから、分からない。
高校野球の人気が根強いのは、そういう実力以外の部分も含めて、時の運・勝負運みたいなのがドラマチックだから、ではないでしょうか。


誰にも分からないことが多いからこそ、世界中の人々が熱狂しドキドキするし、夢を膨らませるんですよ、きっと。


実力通り結果に全て反映されてしまったら、賭け屋だって、困るでしょうに(笑)。