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【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

続・信金口座開設拒否は「イスラム国」呼称問題が原因なのか

続きです。

イスラムという語に対するネガティブなイメージは、いつ頃から生じてきたのであろうか?
イラク戦争当時くらいから、そこそこはあったのかもしれない。けれども、04年の邦人人質事件があったにも関わらず、今年のような嫌がらせは報道される程にはなっていなかった。1人の日本人が殺害されたのに、だ。

かつて、イラン・イラク戦争で日本にとってはネガティブな印象があったけれども、イラン人は日本に多く流入していたはずだ。特に排外的な嫌がらせの標的となったといった話は知らない。

日本においては、04年のイラク戦争当時よりも、今回の邦人人質事件直前の14年末時点の方が、イスラム教徒は増加している推定され、全国のモスクの数は約2倍に増加したのである。この増加期間において、モスクへの嫌がらせがあった、という報道は聞いた記憶がない。2月の名古屋の件でも、嫌がらせ電話を受けたムスリムがこれまでなかったこと、と言っていたのは、その通りなのであろう。


9.11以降の日本において、イスラムへの嫌がらせといったものは、そう顕在化していたわけではなかったはずであろう。多くの日本国民は、そういう見方をあまりしてこなかった、ということである。
しかし、警視庁公安部外事3課の捜査情報漏洩事件あたりから、イスラムへのネガティブ・イメージが創出されていったように見える。

例えばコレ>http://togetter.com/li/92812?page=1


何故「テロ情報流出事件」なのだろうか?
ムスリムへの「違法捜査情報漏洩事件」と呼ぶべきなのではないのか?
漏れたのは、テロの情報ではない。イスラム教徒の個人情報だ。
「偏見」から捜査対象を「イスラム教徒」という属性によって抽出し、テロと結びつけた結果である。警察側の決めつけ、と言っても過言ではない。こうした「決めつけ心理」は辺野古で米軍が身柄拘束した事件でも同じであり、煽情的に「テロ」と糾弾されているのだ。我々がテロだと叫べば、それはテロにできる、というのと一緒。考え方の基本姿勢が同じなのである。



2011年8月>http://www.news-pj.net/topics/2011/kouanjouhou-0825.html

(一部引用)

世間では公安警察部の機密情報が流出したことが関心を呼びましたが、 私たち当の被害者にとってはそもそもなぜ私たち善良な一市民があからさまな無知と不勉強、 偏見に基づく違法捜査の対象にならなければいけなかったのかということのほうが重大です。 つまり、言われもなきレッテルを貼られ名誉を汚されたまま、 責任当局からは謝罪はおろか被害を最小限に食い止めるためのなんの善後策も取られないまま捨て置かれ、 二次被害、三次被害の傷を負わせられて放置されているという理不尽な現実を前に、司法の賢明な裁きを仰ぎたいという次第です。

  イスラーム教徒だからテロ捜査の対象とすべしという意図的な間違いが間違いとして是正されず、違法行為の責任の所在が明らかにされないままでは、 私たち被害者は決して救われません。

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イスラム教徒への差別や偏見が問題だ、という人々は、何故この公安が起こした漏洩事件について厳しく指弾しないのか?
現在も裁判が続いており、終わった問題でもないのだぞ?
なのに、無関心を続けているのはどうしてなのか?
それは、別にムスリムへの差別や偏見をなくそう、といったことが主眼ではないから、なのではないか?


イスラム=テロというような短絡的図式が喧伝されるようになった契機が、この出来事であろう。それは、「イスラム国」という呼称が登場するより前に生み出された虚像、ということだ。


そして、今回のような「イスラム国」呼称問題に矮小化されたのと同じことは、既に予想されていたものだった。


2010年12月>http://www.newsweekjapan.jp/column/sakai/2010/12/post-265.php

私が一番悲しいのは、中東やイスラームを論じ語る知識人が、実は他の目的を論じるためにこれらの地域の人々とその問題をダシにしているのではないか、と思えることである。日本の警察の問題を暴くために、イスラーム教徒が公安の「テロ対策」の被害者であることを取り上げるが、そこではイスラーム教徒の存在は警察批判の材料として矮小化される。主張すべき議論ありきで、ある特定の地域、社会の人々の置かれた立場を自分の主張を正当化するために利用する、というアプローチには、強い憤りを覚える。

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因みに、拙ブログで『イスラーム国の衝撃』の池内恵を取り上げたことがあるが、例えば07年の記事があった。

07年9月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/7abf85097fa44b9a9ef5b69c20b33802


イスラム国呼称問題について云々言ってるのは、事件後に言い出した連中が殆どなのではないのか?別に、イスラームへの関心や問題意識なんて、そう持っていたわけではないけれど、今回に限っては差別だ偏見だと騒いでいるだけではないかと。これこそ『自分の主張を正当化する』為に利用しているに過ぎないのではないか?識者ぶってる連中の多くは、そんなに長い間ウォッチしたり偏見を改善しようなどと主張してたのだろうか?


アメリカやイスラエル主導で「イスラム=テロ」の図式を作り上げ、対テロ戦という大義名分を獲得することによって、日本において数々の法律制定や既存法改正や規制強化がなされたわけである。その為のエサとして用いられた、と見えるということだ。
AbeのISISをエサに釣った風刺画と全く同じ、ということ。


また、モスクへの嫌がらせ電話というのも、ここ最近の風潮を反映しているものと見える。
具体的には、在日朝鮮人等へのヘイトスピーチと呼ばれる過激な言辞である。以前には、ああいう恥ずべき行為が白昼堂々と行われるということ自体、極めて稀だった。街宣右翼くらいだったのでは。
排外主義者たちの「お手軽活動」というものが、過去よりも障壁が大きく下がった結果、本当に安易に行われるようになったのである。

石井孝明のような連中が、職場に電話しろ、とか、教育委員会に電話しろ、と煽動するのも、はやり風潮を表しているだろう。いい年をした大人が、電話で対象を攻撃せよ、と煽動するのだよ。朝日新聞慰安婦関連記事の問題の時も同じ。退職した記者を標的として、職場の大学に苦情電話の攻勢がかけられ、逮捕者が出る事態にまで発展した。いわゆる「ネトウヨ」連中のタガが外れたような行動の結果だ、ということである。


以前だと発言したり表現することが躊躇われたようなことが、今では、総理大臣自らが節度も自制も礼節も失しているような状況だから、右へ倣えということで、誰でも簡単に好きなように「感情表現の発露」が行えるようになったということであろうか。


本来なら、たしなめるべき立場の大人たちが社会の片隅にしか存在しないようになってしまい、総理がネトウヨかと新聞に書かれる事態など想像もできなかったのに、今では口にすべきでない本音が人目を憚ることなく吐き出されているという、恐るべき事態なのだ。

ムスリムへの嫌がらせは、日本人全体の気質といったことではない。嫌がらせをしても社会的に制裁されたり、信用を失ったり、といった機能が、非常に弱まってしまった、ということなのだ。それがネトウヨの増長であり、ヘイトスピーチの過激化であり、職場や学校などへの「電凸」攻撃であり、こうした嫌がらせの横行を許している状況の根本原因は、安倍政権及び自民党のもたらしたものと考えられよう。国会答弁を見れば、それが分かろうというものだ。


非常に平たく言えば、幼稚で、感情的で、煽動に弱く、多面的思考のできない、愚かな大人が目立つようになってしまった、ということだ。こういう連中に大きな面をさせるように支援したのが、安倍政権であり自民党なのだ。総理自らが愚民化の先頭に立っているのだから、それに連なる連中が大勢出るのも止むなし、なのかも。


話が戻るが、「日本イスラーム圏友好協会」の口座開設を拒否されたという斉藤力二朗氏という方は、朝日記事によれば大学教官だったらしいのだが、こちらの人と同一人物なのかな?

http://www.nikkanberita.com/index.cgi?cat=writer&id=200503231648343



朝日記事によれば、『中東系銀行の日本勤務』という経歴の持ち主と紹介されているのだが、非常に気になる。


まず、日本に支店がある中東系銀行というのが分からない。
イスラム金融は、日本みたいな通常の銀行業務ができないので、イスラム圏でしか銀行を持ってないことが多いはず。外資系(HSBCみたいなの)は世界中のあちこちにあるけど、例えばサウジやエジプトの銀行が日本に支店を持つことの意味が全く分からないし。あ、支店がなくて、何かの業務だけする、ということかな?よく分からない。


それから、金融機関に勤務経験があったのなら、銀行内部の事情というものについて、全く素人ということは考えられず、件の信金側の事情というものを「同業者のよしみ」で理解できないということがあるのだろうか、と。

口座開設手続が、中東方式と日本式で違うとしても、金融機関の持つ事情というものについて、素人以下でしか考えられないなんてことはあるものなのかな、と。大学教官までやった人物が、ですよ?
更によく分からんですわ。


カイロ大って、確か小池百合子議員と同窓では?
これはどうでもいい話でしたね。