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【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

続・愚かなるTPP

以前にも触れたことがあったと思うが、浅知恵の働く連中というのは、ある意味、無知無能よりも始末が悪い。本当に「よく知らない人間」というのは、他人に出鱈目の理屈をばら撒くことをしないから、だ(拙ブログ自身の反省も含めて、ですが、笑)。中途半端に理屈を知っている人間に働きかけると、効果的に大衆を誘導できるのである。だからこそ、マスコミに出る人間に「教育」して、さも正しいかのように決まり切った結論を言わせるのだ。いいなあ、利用される連中は。金がたんまり入って。


前原さんってのは、本当にワケが分かりませんな。

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20111015ddm005020154000c.html

民主党前原誠司政調会長は14日、東京都内での講演で、党内に根強いTPP慎重論に誤解が多いと指摘した。念頭には、労働、医療などの農業以外の分野への悪影響を懸念する声が広まっていることがあり、前原氏は「日本の医療体制が(国民皆保険から)米国と同じものに変わるという見方は全くの事実誤認だ」と強調した。


問題となるのは、公的医療保険の基幹部分というのが変わるかどうかではない、ということが、自分のアタマでは考えることができないのであろうな。中途半端な理屈ならば、生兵法怪我の素、ということで、極めて慎重であるべきだろう。
国民皆保険制度が維持されるか否か、というのが論点には入ってない、ということが事実だとしても、「TPP参加が正当化される理由」には全くならないことも分からないのだろうか。「おばけ」呼ばわりする前に、まず考えることをお勧めする。


少なくとも、正確な情報開示がなければ、議論のテーブルにのせる以前の問題であって、「それは事実ではない」とお前だけ分かっていたって、屁の役にも立たんわ、という話。当然、議論や決定過程を完全に公開しないと、反対派は納得できるものではないだろう。

米国の狙いは、「日本を引き込むこと」だ。
引き込んでしまえば、後は、どうとでも料理できる。要するに、契約書にハンコを押させれば、米国サイドとしては「勝ったも同然」ということなのだよ。そういうことも、どうせ考えられないんだろうけどね。


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以下は、空想の作り話です。
実在のものには一切関係ありません。ご了承ください。


20XX年、「21世紀日米修好通商条約」が締結された。その後、日本国内での、ビッグなビジネスチャンスが訪れた。

①超エリート大学

過去には、文部科学省の認可がないと大学が設置できなかったが、今は違う。誰でも簡単に学校が作れるようになった。
米国で有名な大学の分校が相次いで作られた。中でも人気だったのは、「バーハート大」系の学校だ。まず最初に、バーハート大東京校が作られた。講師陣は全部外国人で、授業は全て英語。途中で本校に1年間留学することができる制度もあった。これは大成功を収めることとなり、バーハート大ビジネススクール・エリートコース、バーハート大ロースクール東京校&大阪校、バーハート大メディカルスクール東京校、と、次々に作られていった。元々の絶大な資金力を背景として、ネームバリューとコネの広さから、学生を集めることに成功した。提携したいと申し出た日本の上位大学は、国立、私立を問わず相次いだ。

この学校を出た人間は、外資系企業に続々就職でき、特権的地位を得られやすかったことから、人気となったのだった。そして、これらの学校は、洗脳装置としての役割を遺憾なく発揮することになった。従米派を効率よく大量生産する装置となったのだ。

また、2匹目のドジョウを狙う学校は次々と現れ、分校が多く誕生した。
が、段々と学生は集まらなくなる。英語での授業についてゆける人間など、日本の高校生の大半ではなかったからだ。すると、高校までの英語の授業時間が少ないことがこれら不利を招いている、と主張して、日本政府は提訴された。期待していた数の学生が集まらなかったのは、日本政府の不十分な政策・制度にある、という主張だった。裁定は、米国裁判所で行われた。日本政府は敗訴し、これら外国籍学校の賠償責任を負うことになったのだ。競争条件が公平ではない、ということが大きな理由とされたのだ。そりゃ、英語圏の人間じゃないんだから、日本語で授業をするに決まっており、英語の時間が相対的に少なくなることは必然だった。そのこと自体が、不公平と認定されたのだった。
(’Non-violation Complaint’条項の適用による)

米国国内にある学校ならば、どんな学校でも分校を設置できたので、無闇矢鱈と作っても、日本政府が収入補填をしてくれることになったのだ。ごく一部のエリート校だけならまだしも、3流校まで面倒をみる羽目になったのである。しかも、外国人講師といっても、どこぞの分からないような人がなっているケースも多々あり、コネか何かで教官となり、授業をやっていることもしばしばだった。まるで英会話教室の先生と違いがなかった。それでも、カリキュラムは認められていたし、どうせ英語で何を言っているのか分からなかった(笑)し、多くの日本人学生たちは卒業の「証し」だけは手に入れて、大卒という名目だけで金を払うことになった。これまでの日本の下流大学もアレだったが、今度は外国のアレな大学に入学することになったようなものだった。日本の大学の多くは潰れていった。

これまでは、金を獲得していたのは、殆どが日本人だった(大学関係のポストは日本人が圧倒的多数を占めていた)が、それが外国人に奪われることとなったのである。大学間の競争があることは、悪いことではないが、失われたポストは外国人に給料が支払われ、日本人の失業が増えることになるわけである。中には日本人教師を雇う学校もないわけではなかったが、外資系大学の多くは、英語授業を課すことに意味があったので、日本人は根本的に必要なかった。もっと低額の給料でも文句を言わない、フィリピン人やインド人やインドネシア人やベトナム人などを教員に雇う方が、学校としては儲けが大きかったのだ。

こうして、日本の義務教育以外の学校というものは、大きく変わっていった。
変化が起こって、慌てて文教族が規制をしようとしたが、開放された規制を再び閉ざすことはRatchet(ラチェット)条項によって不可能となり、日本政府にはなす術なし、となったのである。
根本的に変えるには、日米安保地位協定同様に、この協定そのものを解消させる以外にはなかったが、洗脳装置的エリート校から排出される大量生産される従米派が主流を占める政治部門においては、一般大衆の声など届くものではなくなった。支配階層の大多数が、外資系大学出身者で固められるようになってしまったのだ。こうして、政治的に解決する手段さえも、日本国民は失ったのである。革命か、隷属の道を歩む以外にない、ということになったのである。


②『命』が儲かる理由

最初は小さな変化でしかなかった。米国で非常に有名な病院が、東京に分院を建設する、と発表したのだ。以前ならば、病床数の規制で大規模病院の建設などができなかったが、それが撤廃された為だ。米国内の医療機関ならば、日本に病院を自由に設置できることになったのである。

「ヘイYO!クリニック」が作られ、在日外国人には大好評となった。ネームバリューがあったこともあるが、日本で手術を受ければ、アメリカで1泊2000ドルは取られるであろうICUが、まるでタダ同然だったからだ。またマニュアル発行で有名な病院も、日本に分院を出した。
彼らは潤沢な資金力と広告宣伝作戦、それと、リッチなブランドイメージで日本の医療を席巻してゆくこととなった。外資系の病院の納入業者や、建設から施設維持の果てまで、関連する業者は全て外資系の企業やコンサルタントが支配していた。出資規制など、日本のこれまでの制度と大差ないとしても、広告規制や米国法人の設立自由さえ確保されていれば、無関係なことなのだ。

外資美容外科の大規模チェーンも登場した。米国内の医療機関ならば、誰でも開業できるということを利用して、米国内にペーパーカンパニーならぬ「ペーパー病院」を作って、その名義で日本にいくつも病院を作ることができたからだ。ペーパー病院の出資者たちは、有名なファンドなどがずらりと並んでいた。日本の非効率な開業医など、ものともしなかった。潰れた病院の医師たちは、やむなく外資系病院に安給料であろうとも勤務するよりなくなっていったのである。利益の配当禁止といった規制も、当然ながら撤廃されるようになっていった。

高額な医療費が、日本では「タダ同然」で手に入るとあって、外資系病院は外国人の間でも人気があった。ドクターは日本の医師国家資格を必要とするのだが、日本人の受ける試験と同等のものなど必要ではなくなったのだ。ある米国系病院で韓国人ドクターと中国人ドクターを雇おうとしたら、米国での医師免許しかないので、「日本では診療行為ができない」と厚生労働省に断られたのである。これを問題とした病院は、提訴した。例によって例の如く、米国内での裁判によって、あっけなく厚生労働省は敗訴した。無駄な「医師免許」というドメスティックな規制を排除することが義務付けられることになったのである。

米国内において、「促成栽培」と名付けられた、医師養成機関が儲かることになった。主にアジア系出身者を即席で医師免許を取らせるところまで養成し、彼らを日本の病院に送り込むのである。
こうした外資系病院が増加した結果、日本人の高齢患者を中心に不満が高まることとなり、これを避けるようになっていった。
数が少ないうちは、問題病院の数はそう多いわけではなかったが、次第に競争が激しくなり、病院収益が上がらなくなっていった。ある時、外資系病院団体が日本政府を訴えた。「設立したにも関わらず、病院の利益が少ないのは日本の保険医療の規制に問題があるからだ」と。そうすると、またしても敗訴。
外資系病院に損失を補填する義務を、日本政府が負わされることになったのである。外資系病院にとっては、ノーリスク同然。儲かればよし、儲からなければ、訴えて政府からぶんどればいい。

また、民間の外資系生保・損保会社が疾病保険の開拓を進めた。公的保険の40兆円に比して民間保険契約高の割合が僅か3兆円と、米国内の比率に比べて圧倒的に低いのは、日本政府の競争を阻害する制度にある、と主張した保険会社は、楽々勝訴。そりゃあ、アメリカと日本を比べれば、公的医療保険の割合が高いのは当然だったのだから。それが競争阻害として認定されてしまえば、何かをしないわけにはいかなくなる。自費診療部分を拡大する政策を選択するか、これら保険会社に損失を賠償として支払うか、どちらかの選択を迫られることになったのである。

薬局などの参入規制も取り払われ、OTC薬の取扱についても規制は撤廃された。

次第に、医療行政は自主性を失ってゆくことになったのである。
大学と同じく、後戻りは不可能となってしまったのである。