怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

楽天・三木谷の役割とTPP

ようやく三木谷が産業競争力会議の議員を辞任したんだそうだ。
オレが辞めろと言ったからではないぞ、勿論(笑)。単なる偶然だ。三木谷にとっては、場末のブログなど空気中のゴミと大して違いなどないだろうからね。


三木谷というのは、これまでの所、きちんと役割をこなしてきたわけだよ。社内言語を英語に無理矢理統一するとかさあ、決算発表などの記者会見でも英語でやるとか、そういうのも大事な役目なんだよ。

10年8月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/83ae3bb5f289810679366293042d38dc


それから、医薬品販売の規制撤廃という話ね。
これも以前からの予想通りだったわけ。


11年10月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/adf438365d6cba3e81d778c06f298541

薬局などの参入規制も取り払われ、OTC薬の取扱についても規制は撤廃された


同>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/8fb104d3e187b04467d98f0bb9d05252

教育・健康・社会保険分野が狙い目である



踊らされる連中というのは、それがどうして必要なのかが理解できないんだよ。うわべだけで考えるから。アメリカさまは、はるかに賢く戦略的であるので、必要なステップを踏み、要点となる一手を必ず用意し放ってくるわけ。日本人のおマヌケのボンクラどもとは全然違うんだよ。先を考えているの、きちんと。それに対抗できないと、簡単に負けるんだよ。
何も薬剤販売だけの話じゃないぞ。



・英語公用語
・公務員試験にTOFEL
センター試験廃止


三木谷がやったのは、社内英語化、だな。見本を示した、ということさ。更には、公務員採用試験にTOFELをねじ込むこと、これも三木谷の主張に合致してるんじゃないのかね?会議の議事録で確認したわけじゃないけど。


そして、最近出されたのが「センター試験廃止」という一大転換を文部科学省なのか審議会レベルか他からなのか忘れたが、登場してきた、というものだ。
これは大学教育、高等教育を日本式から「アメリカ式」に変更させる為の一手であろう。昔から存在してきた、日本の大学の序列化という「めやす」なり「基準」なりを破壊する為だ。これで何が変えられるかって?
それは米国の教育機関が日本侵略を容易に実現できるようにする為のものだ、ということさ。TPPはその土台作りに過ぎない。


いいか、メリケン式というのは、得意なのが「標準化」とか「マニュアル化」だろう?人種や文化の垣根を乗り越えていく為の、便利なツールだ。彼らの生きてきた歴史の上に成り立つ知恵であり、特長でもあり、かなりの優位部分でもある。


大学教育プログラムが「完全ネット化」できることが必須なのだよ。それは、便利なものだ。自宅で完全学習でき、単位取得ができる。人など必要がない。しかも提供するのは、米国内であっても当然よい、ということだ。また、日本の偏差値ランキング化されてきた大学進学というものが、基準を喪失してしまうと、メリケン野郎どもが大好きな「我々の大学ランキング」に引き込むことが簡単にできるのだよ。これは金融分野での「格付け―格付け機関」と殆ど同じ意味合いなのだよ。ヤツらの提供する「格付け」で判断せよ、と押し付けられる、というわけだな。どんなに格付け機関の格付けというものが、単なるクソであっても、だ。トリプルAが無意味であることを知るのは、悲惨なめに遭ってからなのでね(笑)。


だから、「完全ネット化」を行政システムの中に組み込みことは、TPP締結後の世界には必要なことなのだよ。それは日本の高等教育を破壊する為のものだ、ということさ。医薬品の販売くらいで「完全ネット化」が認められず、これを達成できないとなれば、大学教育なんてもっとハードルが高くなるに決まってるからな。文科省の官僚天下りについて、やたらと攻撃する報道が出てくるのには、それなりの理由というものが存在するかもしれない、ということだ。


GPA方式のようなものに変更すると、日米共通の基準でよい、と簡単に統一されてしまうのだよ。教育を破壊するのは、「アメリカ化」させる為には必要な手だからな。これぞまさしくメリケン式「標準化」「マニュアル化」を浸透させる手段であり、英語で日本語を駆逐させることをも可能にさせる、一歩となるわけだよ。


公務員試験にTOFELなんぞ採用されてみろ、日本人の気質から考えて、みな必死になってそれに取り組むことになってしまうだろう。英語の標準化とか、大学教育の統一化で儲かるのは誰か、ということをよく考えてみるとよい。

もっと恐ろしいことは、これが日本文化を破壊する手段なのだ、ということなんだよ。企業内の英語化というのは、単なる偶然じゃないんだよ。グローバル化という脅しは、手下どもが日本人を感化する為の工作の一部なのだ。


三木谷も楽天も日本には必要ない。
とっとと出て行け。外国に行けって言ってんだよ。英語の公用語の国なり地域になりに行って、グローバルにやればいいだろ。どうしてこんな簡単なことが判らないんだろう?英語のできる外国人を雇えばいいだけだろ?アホかっての。
なのに、どういうわけか日本にしがみついているわけ。頭がおかしいんじゃないのかねえ。法人税が安く、英語喋る場所に行けばいいだけだよ、人件費も安い場所なんて一杯あるでしょ、と言ってるのに、日本にいるんだわ、三木谷は。
おかしいでしょう?


大学教員の方々、あと教育界の方々に警告します。
共通一次試験とかセンター試験とか、そういうのがどうなのよ、というのはよく判りません。が、日本の自主性と独自性を失うようなシステムへの変更は、絶対にすべきではありません。偏差値重視はダメ、競争原理主義はダメ、知識偏重はダメ、等々、確かに間違っていない意見もあるのかもしれませんが、それは全体を見ているものではありません。完璧ではないにせよ、長い年月で培われてきた部分はあるので、何でもメリケン式に変更すればいいというものではありません。


高等教育を失うことは、国柄を喪失する可能性を高めることだ、ということを、どうかお忘れなきようお願い申し上げます。各論的に、どれほど文部科学省のやり方とかモロモロに反発や言いたいことが多々あれど、教育界の危機には一致協力して立ち向かうべきこと、というのを、肝に銘じてほしいです。個別の小さな話とは違うんだ、少々のことには目を瞑って、立場を超えて協力しあうべきである、ということです。