怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

財閥礼讃?〜ちきりん女史の主張

ちょっと目にしたので。個人批判というわけでもないんですがね。

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20141224


まあ、色々な考え方があるので、大金持ち崇拝とかがあっても不思議ではない。ただ、そういう考え方の人が多数を占める社会になってしまった場合を想像すると、酷い世の中だなと思わずにはいられない。


当然批判は出てくるでしょう。

http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2014/12/25/133524


その前提が云々と書かれていますけれども、「1人100万円ずつだったら」という前提の話は、以前に拙ブログでも書いてしまっています。

08年12月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/8dc8ae436af93af4d85305fc9fa92b98

(再掲)

個人消費というのは、いってみれば非常に小さな単位の「ベンチャー企業」みたいなもので、大企業に10億円という資金を与えてそれを投資してもらうのも、個人に100万円ずつ小分割して1000人が自由に投資するのも、同じようなものではないでしょうか。その中から、ユニークなものとか、うまくいくものとか、そういったものが生み出される可能性に賭けてみる、ということでしょう。本当に1人が10億円のお金を持たされて投資した方が効率的かどうかなんて判らないのですよ。大きな投資主体もあれば、もっと小さな投資主体もある、というような適度なバランスがある方がいいと思えます。ある人は土地を買って商売を始めるかもしれませんし、トラックを買って運送業を始めるかもしれませんし、放蕩息子みたいに演劇だの芸能だのに使ってしまうかもしれない。それは判りません。が、個々の「何かの考え」があって、お金を使おうとしますので、思わぬ大ヒットみたいなものが誕生してくるかもしれないのです。昔の日本というのは、そうやって消費だの何らかの投資だのにお金が回っていたのですよ。だからこそ、個人で商売を始める人たちなんかが、そこそこ存在していたのですから。規模の経済は確かに大事だろうけれども、新たなものを生み出す力というのは、結局は個人に委ねられている部分がそれなりに大きいのではないかな、と思ったりもします。

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基本的な考え方としては、今でも変わっていません。
企業の収益をどう分けるのか、ということが問題意識です。

税額は無視して、具体例で書くこととします。


【例1】
賃金       1億円
外注費(下請け) 1億円
株主配当金    10億円  


その他の経費も全部無視して、こういう費目になっている、ということだけ考えて下さい。極端な言い方ですけれども、株主重視というのはこういうことです。

でも、売上が同じでも次のように分け前を変えることは可能です。

【例2】
賃金       5億円
外注費(下請け) 5億円
株主配当金    2億円 


同じ売上高であっても、従業員や下請け企業にも恩恵が行くので、最終的には労働者への分配ということになるわけです。その代わり株主への利益配分は少なくなります。

富を集中させるという点において、ちきりん女史が望むのは例1の方でしょう。そういう社会ではなく、例2の状態についても考えてみましょう、というのが当方の意見です。どちらかと言えば、日本においては、例2の方が望ましかったでのはないか、ということです。


元々、日本企業の配当利回りは低かった。
売上高が100億円から200億円に増加した企業甲があって、発行済み株式数は以前1万株、今は2万株である。配当金は一株当たり100円から300円に増加していました。
この過程において、株式を新規に取得したのは、従業員持株会でもなければ日本ンの銀行でもなく、海外投資家たちでした。配当金が少な過ぎると海外投資家が文句を言ったので、必死で頑張って3倍に増やしました。素晴らしい企業ですね。
でも、この成果を挙げる為に、下請け企業への厳しい節減とか、従業員リストラ+派遣などに切り替え促進で、人件費を大幅に削減。固定費もカットしました。

どうです、経営者としての能力は、高く評価されることでしょう。企業利益を増やし、株主さまへの配当金も3倍にできたのですから。

代わりに、犠牲になったのは低賃金で働く人々と下請けです。下請けは原材料値上がりで悲鳴を上げ、でもボーナス全額カットとかで何とか受注を取り続けなければ生き残れませんでした。経営努力の賜物、ですね。


最も儲かったのは、海外投資家という名のファンド1社でした。株主配当金をたっぷりもらい、投資資金を有効活用できたんだ、と豪語しました。そうですね、確かに結果は見事です。富の集中も達成できていますね。貧乏人たちに小金を持たせるよりも、優秀な人間(この場合は法人)一人に金が集中した方がずっと儲かるんだよ、と。見事に実証されましたね。


つまりは、こういうことなんですよ。
投資資金が有効だった、ように見えたのは、大勢の労働者たちの犠牲に上に成り立っているものである、と言っているんだよ。

富の独占の方がいいんだ、という人の根底にある考え方というのは、極端に言えば、企業帝国こそ正義、ということなんだろうね。それとも、独禁法の否定だ。財閥こそ正しいあり方である、とでも言おうか。


サムスンのような財閥こそ、経済を発展させ富ませるんだ、と。そうだね。独裁的な経営者に金を持たせる方が、有利なんだ、と。ふーん、そうですか。
そういう社会がお望みの人たちは、そういう国や場所に行けばいいのだよ。


最終的な形態は、1社独占でしょうな。だって、優れた正しい経営者がいる限り、他の人間や企業は必要とされないから、ですよね?
これはある意味、市場の否定、である。


富は一人に局在する方がいい、ならば、発行済株式は全部創業者1人が独占すべきなのだよ。優れた経営者が配当金を全部受け取って、全て有効に使った方がいいのだよ。ですよね?(笑)

発行済株式1万株の企業があって、1万人の株主が存在するよりも、たった一人の株主の方がいいってこと。だって、その1人には勝てないんだから。
だったら、上場って、いらなくね?
市場の否定とは、そういうこと。

大勢の人に分散しているからこそ、「大体は正しい方向に進むであろう」というのが市場機能のはずである。一人の偏った考えの値付けや価格評価よりも、もっと大多数の人の評価があった方が、妥当な水準の価格が算出されるであろう、ということでしょう。
なのに、一人独占が正しい、というのなら、市場はいらないでしょう?(笑)



ソフトバンクが大きくなったのは、ヤフーが高くなったお陰だし、テレコムを買収し、ボーダフォンを買ったから、では?
酷い言い方をすれば、元からあったものを買い集めて、「わらしべ長者」作戦でうまくいっただけなのでは?
だって、孫さんが独自に創造できた市場って、何があるのでしょう?

テレコムもボーダフォンも、市場を奪う、という戦略だっただけ。元はNTT&ドコモという巨人がいて、その市場を奪取したという見方も可能でしょう。スマートフォンを生み出した、とかなら、それは創造でしょうけど、市場を作るのではなく奪ったようなもんだな。

固定電話が衰退期に入り、携帯がとって代わった。ネット接続もスマホと代替されつつあるわけだ。

世の中に存在しなかった、電話というサービスを生み出した、とかなら、それはもう凄いよ。それとも、携帯電話市場を作り出したのなら、それも偉業だ。自動車が生まれたというのも同じ。
だが、買収を繰り返すことで大きくなるのは、投資家としての才能は素晴らしいのかもしれないが、企業として生み出してきたものはそう多いものではないように思える。


大金を孫正義に預けたい、ということなら、そもそも株を買えば済むことである。ソフトバンク株を買う、という行為こそ、そういうことでしょう。けれど、個人がどこの株を買うのかは、自由でいいんだよ。運用成績の比較で、たった1人が10億円投資するのと、1000人が100万円ずつ投資するのでは、どちらの成績がよいのか、というのに似ている。長期的には、ほぼ市場が勝つ=インデックスが勝利することが多いのではないのか?

だったら、企業投資だって同じではないのかな?
競争がある理由というのは、そういうことではないのかな?
1社が独占して、1兆円の自己資金をどう使うか決めるのと、1万社に分散して合計1兆円をどう使うか決めるのでは、どちらが効率的になる可能性が高いのか、ということだ。

1社独占の財閥礼讃主義みたいな人なら、他の企業なんかいらない。経営陣も1セットだけあればいい、ということでしょうな。1兆円を有効に使ってくれることでしょう。



それから、話が少し飛ぶけど、投信で毎月分配型というのは、効率が悪いとして批判され易いよね?投資効率だけ考えれば、配当せずに運用を続ける方がいいはずでしょう?
なのに、どうして株主配当だけは、「もっと配当しろ」とかいう、主に海外ファンド勢の妄言が尊重されるのだ?

かつての日本企業の多くは、配当は少なめで、株価上昇という形で還元してきたはずではなかったか?
これはまさしく投信の運用が、毎月分配せずに、年1回くらいで分配するのと大差ないでしょう?社外に資金を流出させるより、自社内で運用した方がずっと効率的だったはずでしょう?株価が上昇すれば、配当なんてゼロでも原理は同じなのでは?
基準価格が上がるなら、投信はそれで問題ないですよね?
何故株式投資になると、配当を増やさなければならないとか配当増加が正しい、みたいな意見ばかりになるのですか?


なのに、もっと株主還元しろ、配当増やせ、という海外勢の要求が強まって配当を増やしたわけだよ。結果、富は「集中」から「流出」へと変わったんじゃないのかな?


中には、成功するファンドがあるよ。アクティブ運用で好成績を出している所はたくさんある。だけど、全部がうまくいくわけじゃない。やってみなけりゃ分からない、んだよ。企業経営だって同じ。ダイエーが消えたのは、成功を収めた経営者が必ずしもいつも通用するわけじゃない、ってことでしょう。
本当に孫正義に100兆円預けたら、社会はうまく行き、国民はみんなハッピーになるのかね?


そんなことは、到底考えられないわけだが。
むしろ、ソフトバンクが凄い、伸びてきた、と言っても、例えば電力設備の毎期の保全・新規投資の経費とか、道路や鉄道の維持管理経費とか、ソフトバンクの売上と比べてどうなんだろうな、とは思うわな。今の社会システムを維持するだけでも、何兆円もかかっているように思うが。


特定の経営者を高く評価するのは反対しないが、それが社会の機能を全てうまく処理できるようになるものとは、思えない。

もっと普通の、平凡な人々の集合体の方が、ずっと賢いと僕は信じている。


日本経済が沈んだのは、企業資金が余剰方向へ(貯蓄率増加)、家計と政府がマイナスへと転じたことによって、強固なデフレ期間が現出した。家計の貯蓄率はもうマイナスになるくらいなのに、どうして企業資金ばかりが余剰でなければならないんだ。そのこと自体がおかしいんじゃないか、という話なんですよ。


大企業という極々少数の、たったの0.2%くらいしか存在しない法人にばかり、富が集中しているのが問題なんじゃないのか、と言っているのだよ。
単なる創業者だの億万長者だのといったレベルの話ではないのだよ。


ああ、あれか、オリガルヒみたいなのが望ましい社会、ということか?(笑)
それで国が豊かになるのか。日本人は幸福になれるのか。僕にはそうは思えないわけだが。